こんにちは、小樽酒商たかの三代目の高野洋一です。
ブログを書くのが久しぶりすぎて若干の気恥ずかしさもあります。
なんで再開する気になったかというと、今年の6月頃に酒商たかのの手稲店を開店を予定しているぐらい、
どっぷりと酒屋を営んでいる今日この頃です。
新しいお店を違う地域に出すという事はとてもチャレンジングであり、とてもリスキーなことでもあります。
しかし、手稲区にはお酒の専門店が過去にも1軒もなく、酒商たかのの酒屋としての役割は大いにあるのではないかと感じた次第です。
「なんで酒屋やってんの?」
という質問があるとしたら、次の一点に尽きます。
「人生を豊かにする一杯」を提供するため
我々はお酒は酔うための物ではなく、その方、その方の周りの方々にとって、人生を豊かにするものであってほしい、と願っております。
文化や生活に一部で、日々の中で幸せをお酒を通して実感できる、お酒はそうあってほしい、と考えております。
と、まぁ、このようにカッコイイことを言っている次第なのですが、このように真剣に感じるようになり、言語化でき、行動に移せるようになったのは5,6年までであって、帰ってきて4,5年は腐っており、それまでは典型的なダメな酒屋の息子であった。
というのも、私はもともとなかなか大きい会社でサラリーマンをしており、
しかも、酒屋とは全く関係のないゼネコンにてトンネルやダムなどを建設するエンジニアでした。
はっきり言って天職と思い、どんな辛いコトも楽しく、そして、エキサイティングな毎日を過ごしておりました。
なんせ、動くお金も大きくて、もちろん給料もかなり良かったのは言うまでもありません。
じゃ、なんで今は酒屋を継いだの?
という疑問が湧きます。
そこにはそこそこのドラマがあり、色々な場面や葛藤を経て、今に至ります。
もちろん、まだまだ、成し遂げたにはほど遠い状況ではありますが、
この過程を皆様とも共有してもいいのではないかと感じるようになりました。
というのも、私のような後継という状況、経験、葛藤、苦悩、喜びは日本中に溢れており、今も悩んでいる方が多くいます。
私の周りにも「後継」をする者、「後継」させる者が多く、その悩み、葛藤、課題には多くの共通点があり、パターンもあるのがわかってきました。
そして、これらをチャンスに変え、乗り越えた方々も多く存在しております。
しかし、そのパターンにあった、その乗り越え方やどのように考え、行動していいのかというコツみたいなものは、世間一般的には知られておらず、共有されておりません。
多くの成功の事例があるのにも関わらず、とてももったいないという思いが湧いてきます。
今後、このブログにより、いくつかの「後継」の事例を上げ、パターンに分け解説していきたいと思います。
もちろん、赤裸々な高野の事例も上げさせてもらう。
当時の高野がこれを知っていたらもっと違ったかも(笑)
これから「後継」する方、「後継」させる方、「後継」を考えている方、にとって有意義な内容になれば幸いです。
と、呑み会の席で盛り上がったので、こうして少しずつ書いていく事にしました。
高野洋一