古事記 160
神話と古史古伝 (栄光の不合朝)
大和朝の前は出雲朝でした。出雲朝は、不合朝(ふきあいずちょう)であり不合朝の終わりの頃です。古事記、日本書紀では、神武天皇以前の事は不明瞭に書かれています。
古事記、日本書紀は、仏教がもっとも盛んな頃の著述だあります。日本の本来の姿を、時の実力者である仏教徒の勢力によって改ざんされた疑いがあります。しかし、代々身命を賭して守って来たいくつかの古文献が発見されています。
その実例に、伊勢の神宮文庫と弘前市図書館に保存されていた「豊葦原神風和気」があります。富士山の浅間神社にある「徐福伝」があり、源頼朝の次男藤原能直が編集した「上記」がり、その他知られている、九鬼元子爵家の伝わる「九鬼古文献」、安倍正人の持つ「阿部古文献」、物部守屋に伝わる文献などがあります。
これらの文献と、古事記・日本書紀との相違は、記紀は神武天皇を第一代天皇とし、それ以前を神代としてぼかしています。日本人の祖をあやふやにし、天御中主大神をもっとも古い神としています。
それに対して、豊葦原神風和気や徐福伝、上記には神武天皇以前に、不合朝72世の天皇の存在と事蹟が記されています。九鬼文献には、天御中主大神以前の日本の姿も出ています。安倍文献に至っては、モーゼが日本に渡来している事まで明記しています。
また、竹内文書には天地創造の神から現在に至るまでの、神・天皇の御名が記されています。
それでは、出雲朝の大国主命と須佐之男命のご活躍を考えたいと思います。
約5000年以上前は、世界の文明はシュメール文明であったのです。これは、出雲朝の時代です。須佐之男命が活躍したのです。
古文献には、大和朝の前に不合朝があり73代続いたとあります。それでは、大国主命とは誰でしょうか。古事記は、大和朝に入ってから作られています。大和朝からは天皇であり、それ以前は大国主命という事になります。明らかに、訳が分からないようにボカシています。
要するに、不合朝を隠しています。無いものとしています。日本の歴史は浅く、大したことがない様にしたのです。
言葉の意味からしても、大国主とは大きな国の主(王様)という事になります。大きな国とは、実は世界のことを云っていると思います。大国主命とは、世界のスメラミコトであったという事です。すると、古文書と神話が一致します。大国主命は、お一人ではなく11代は続いたと考えます。
須佐之男命についてですが、須佐之男命が泣くと洪水になり、走ると山が大きく揺れ動くのです。恐竜じゃあるまいしね、有り得ない話です。これは、世界的な天変地異を云っています。ノアの洪水の話もあります。ムー大陸の沈没の話もあります。何れに致しましても、天変地異により破壊された世界の国々を復興する為に活躍された神様です。
不合朝は、永く平和な時代が続いたのです。神話では、天災や事件だけを載せていますが、スメラミコトが世界中を巡幸をして廻ったのです。スメラミコトの話を聞いたり、指導を受けることが民族の歓びと誇りでした。ですから、世界各地に天皇の御陵があったのです。
この様に、大和朝以前の天皇は、日本の天皇だけではなく世界のスメラミコトであったと記されています。その証拠は沢山あるとの事です。只、隠されているだけです。菊の御紋も世界中にあり、世界各地の古文書にも記されているのです。公表出来ない圧力があります。エジプトのツタンカーメンも日本の皇子(大国主命)です。エジプトの古文書に記されています。(菊花紋は不合朝にできました)
このように、日本人が誇りに思える輝かしい歴史がありました。しかし、不合朝末期になって来ますと、人心の悪化や天災などにより世界は分断され、スメラミコトの影響が薄れていきました。元つ国の日本も、天災により国力を失っていったのです。それで、神話で云う国譲りとなっていきます。
人類史は、創造に始まり、それから発展していきます。そして神は人類に自由を与えます。自由を与えられた人類は、だんだん神から離れて行ってしまうのです。人類は、自分勝手になり神にも逆らうようになり、大罪を犯していく事になります。そして神から裁きを受ける事になっていきます。これの繰り返しであったのです。(過去に6回、今回が最後)
現代は、裁きの時代に入っているというより始まっています。安易に考えてはいけないと思います。今の世相は、神から見れば腐っていると思われているでしょう。人類の罪をお詫びする意味でも、感謝・お詫び・笑顔・人格の完成が大切です。
そして、大国主命の復活です。ミロクメシアの降臨が起きるのでしょう。