目標

①5年以内に英語で体育を教えられるようになること
②※IB(インターナショナルバカロレア)カリキュラムの指導資格を取ること。
 http://www.mext.go.jp/a_menu/kokusai/ib/" target="_blank
③2年以内にTOEIC800点以上とること

以上3つの目標をこの場で宣言し 自分を追い込みます





さて






よく学校の先生は「夢をもて」といいますね
しかし「夢をもて」と言われて 夢をもった人はいますか









なぜなら夢というものはもつものではなく
すでに存在しているものだからです







??








つまり








自分に嘘をつくことなく やりたいと思っていることを
素直に自信をもって実行すること










自分に正直に生きていれば そこに言い訳はできません
(自分で決めた道だから)








しかし 








誰かにやれと言われて選んだ道
社会のレールから外れることを恐れて選んだ道
ただなんとなく選んだ道








これらの場合は間違いなく 言い訳や後悔が生まれるでしょう








ではどうすれば 言い訳や後悔のない 正直な道を進むことができるのでしょう









それは リスクを冒して攻め続ける ことです










本来 守りの好きな人はいません 
しかし 攻めることは楽しい反面 失敗というリスクがあります
その失敗は時として 攻めたことを後悔することもあります
そして その失敗が続くと 守らなければ という心理が生まれ
失敗の少ない守備を好む人間が生まれてきます 最終的には 攻めることを恐れるようになります







こうなってしまうと苦しくなります
本人も楽しくない 観客(その人を取り巻く周りの人)も楽しませることはできません
何とかカウンターで点を取って喜んでいる程度でしょう
本来の攻めることが好きだった自分を完全に見失ってしまっています







しかし
失敗を繰り返しても 攻め続けている人は 最初のうちは多くの失敗を繰り返しますが
(中には成功し続ける人もいる) だんだんと負ける回数が減ってきます
なぜなら 今まで攻めてた人間が どんどん守備に回っていくからです
そして 攻め続けながら負けない術を身につけていきます
攻めるための守備です 
 







これが 夢をめざしている人とめざしていない人の違いではないしょうか








よく「夢をもて」いう大人  その人は夢をめざしていますか
めざしていない人こそ 「夢をもて」といっていませんか








以上のことから 子どもたちに夢について指導していくのであれば
夢をもて ではなく 自分に嘘をつくことなく正直に生きろ と言うべきなのではないでしょうか



 




では 夢をめざす子どもを育てるためには


①失敗が成長に繋がることを実感させる→失敗を恐れない子になる
②「これだ」決めたものには全力で取り組ませる(すべてのことに全力になる必要はない)
 →オールマイティーはいずれ潰れる
③人との「違い」を大切にし そこに自信をもたさる→周りがそれぞれの「違い」をリスペクトできるようになれば そこには個性や自己肯定感が生まれて素晴らしい集団となる







勝負は5年
まだ攻め続けます