親友から年賀メール
今更届きました
でもなんだかそれは その親友からではない感じ
だって Fw: 転送 になってるからね










長いっす
暇だったら読んで下さい











ボクは去年の7月の終わりにオーストラリアで試合中 膝の靭帯を損傷し全治5ヶ月の怪我を負い
無念な気持ちで日本に帰国しました 





スポーツ大国オーストラリアの医療は発展しており





オーストラリアで治療をするという選択もありました 
しかしボクはどうしても大きな怪我の治療は日本で 





自分のことを良く知ってくれている所で 
という気持ちが強く帰国を決断しました










そして その決断に追い風が吹いたのか 
怪我も順調に回復し そして何よりも素晴らしい出会いを
ボクに授けてくれました 














家の近所にある接骨院 






ボクがサッカーを始めたときから 何か怪我をすれば 行っていた場所です
高校のときも 足を骨折したとき 疲労骨折になりかけたとき 寝違えたとき
いつもそこに行ってました そして今回も・・・









久々に行っても変わらぬ 雰囲気 たくさんのマシーン 


そして 



やくざ??



プロレスラー??




のような風貌の院長先生が・・・











そしてもう1人
ちょっと年上の 若い先生


 







院長先生には昔からお世話になっているし 
もちろん院長先生に診てもらえるのだと思っていましたが









僕を担当したのが このもう一人の先生でした










正直最初は 『マジ??』
って思いました










だって まだ若いし 経験も浅いでしょ!?










大丈夫かよって









でも 院長先生が決めたことだし
あえて院長先生がオレにそこまで関与してこないってことは
何かあるんだろうって











そう前向きに考え
その若い先生とこれから長い 闘怪我生活 を戦っていくことにしました











毎日通い 毎日その先生と会話をしていく中で
感じました









確かに 治療に腕や実力も大切かもしれないけど
一番大切なのは 治すという熱意 なのかもしれない









その先生からはそれを強く感じました










それからというもの
僕も心を開き 色々な会話をしていくようになりました












彼は 元陸上の短距離選手で 過去に日本チャンピオンになっている
しかし 怪我が原因で結局選手を引退し 色々あって
今は 柔道整復士 をしている
 












そんな彼から アスリート として学ぶことは多く










特にトレーニング
今まで筋トレなんてほぼしてなかったけど
いつの間にかガシガシするようにもなってた










プロになる人間としてのあり方
『何をするときも 自分は人とは違う』












などなど数えきれないことをこの短い間に学ばせてもらいました










もしかして 院長先生はこういうことをわかって 
この若い先生をボクに担当させたのでしょうか























そして一昨日
突然 ボクの古くの親友からメッセージが・・・
どうやら 新年の挨拶メールらしい
でもそいつは絶対にそういうメールを送る奴でもないし
文脈も明らかに そいつのメールではない








以下そのメール・・・↓






『『明けましておめでとうございます

毎年の身勝手な一斉送信、お許しください

昨年も大変お世話になりました

本年もよろしくお願いします

私の昨年の出来事の一つの話です。

長いので、読む時間のない方には、申し訳ないです。

私の出会った患者の一人に、膝の靭帯を損傷したサッカー選手がいました。彼は一昨年からAustraliaのセミプロでサッカー選手をしていて、サッカーの試合中に相手との接触で膝痛めて、日本に帰国し、そして、彼と出会いました。7月の終盤でした。彼の膝の状態はとても良いとは言えるものではなかったのですが、彼は今年中にまたタイへ行って、今度はプロを目指すと僕に言いました。治ってプレーするだけでも大変なのに、彼は更に上の自分を目指してました。最初はどういう考えを持っているのか、わからなかったんですが、関わらせていただくたびに、彼の内に秘めた思いをなんとなく感じる事が出来ました。
自分も言えないかもしれませんが、彼のサッカー以外の素行は末恐ろしいほど酷く、酒、女、友達、しまいには、人に借りは作らない主義と言ってたのに、人に金を借りたままタイへトビマシタ。しょーもない奴です。でも、そんな彼でも、好きな事、やると決めた事には、僕の知る限り、尊敬出来る程、一生懸命です。タイに知り合いや住むとこがある訳でもなく、タイ語が話せるわけでも彼の英語が通じる訳でもないはずです。彼の友人によるとAustraliaの時もそうだったみたいです。

言葉や常識、文化、宗教、あらゆる事が異なった場所に身一つで挑戦していく彼の姿は勇敢です。彼の夢は知りませんが、きっとその先にあるものなんじゃないかなと思います。
彼は昨年の終わりに膝も完治し、タイへ飛び立ちました。

年齢や家族や仕事、世間、環境などを考えるに、彼には現役の選手としては最後の挑戦、旅になると思います。
好きな事や決めた事をやり抜く辛さを知ってる彼には一番楽しく、苦しい旅になると思います。
ほんと頑張ってこいよ!

自分に嘘をつかない人生は辛いです。

我慢の毎日だと察します。

それぞれの環境で色々な事があると思います。

様々な思いを抱え頑張り続けてる皆さんに間違いはないと思います

今年また続けましょう

大丈夫です、必ずだんだんよくなりますから

これからの日本を築いていく皆さんの人生が光輝く最高のlifetimeでありますように

長いのにありがとうございましたm(__)m

今年もよろしくお願いします。














だって』』






最後の だって。 だけはその親友の・・・


あとは 怪我中ずっとお世話になった先生が彼の仲間に送った新年のメールでした
僕には直接は送ってくれませんでしたが




以前に親友とボクと先生で食事に行った時に 
2人は番号を交換していたみたいで
親友にはこのメールが届いたそうです














きっと先生はボクがこれを読んでいることは知らないでしょう











でも 先生もこのブログを見ないでしょう












お互いの間には 不思議な間があります












でも その間は 何だか心地が良いものだとも感じます













今回 この怪我を通して 本当に多くのことを考えさせられました
素晴らしい出会いや経験をすることができました













これはその中でも ベスト2 でしょう













ベスト2かよって















ベスト1 には 












もっと最高の出会いがあったのです















本当に長々とすいません。
読んでくれた方 感謝しております













ありがとうございます










合掌 コップンカップ













YOSUKE TACHI