乾杯〜!!
(有料サイト葉介HOUSEと同じ記事です)
みなさんこんばんは!
最後まで、書こうか、書かないでおこうか迷ったのですが、
色々心配をかけてしまった方もいらっしゃるので、書く事にしました。
4月29日に、僕の母が亡くなりました。
元々病気がちだった母ですが、2013年のちょうど渋谷公会堂が終わった頃、胸にしこりが見つかって
検査をしたら乳がんでした。
翌年マウントレーニアホールでのライブは、ちょうど手術をした頃で、
ライブの緊張と手術の結果待ちで心臓がずーっとドキドキしていたのを覚えています。
幸い乳がんの手術は成功したのですが、その後、今度は肝臓がんが見つかって、
それまた手術をして無事に退院する事が出来ました。
退院して、ようやく一息!
という時に、妙な咳がコホコホと止まらず、検査をしたら今度は肺がんが見つかりました。
それが去年の4月頃です。
医者との家族面談があって、もう手術が出来ないという事を聞かされました。
ちょうど僕が「明日のリハ、ちょっと歌えない」と言った時です。笑
そこから1年間、母と家族の闘病生活が始まりました。
この1年は、とーっても楽しく、とーっても辛く、とーっても大事な時間になりました。
30年前、心臓病を持ったまま僕を出産した母は、僕を産んだ直後に集中治療室に数週間入り、
僕はその間、乳児院に預けられていました。
「産後にミルクもあげられず、抱く事も出来なかったから、不良になったらどうしよう」とよく言っていたそうです。笑
僕が小さい頃から、「私は60歳まで生きられればラッキー」
とよく言って、若い頃から体に無茶な事をしていた母ですが、最後の1年間は本当に命を大切に生きていました。
少しずつ出来る事が減っていく中でも、生きる事を決して諦めず、亡くなる前日まで毎日笑っていました。
亡くなる数日前なんかも、
『おっかさーん!大丈夫かい?』
『ゲホゲホ。私はもう長くない』
「っていうのを時代劇とかで見て大げさだなーと思ってたけど、本当にあるもんなんだねぇ。あはは。」
と、そんなことゲホゲホしながら言ってました。笑
とにかく家が大好きだった母は、亡くなる前日までの数日間、お医者さんに無理を言って家で過ごしました。
常に酸素マスクをしながら、ベッドの真横に置いてあるトイレにすら移動出来なくなっても、
自分の力で起き上がる事が出来なくなっても、声がほとんど出なくなっても、病院に戻るとは言わず。
「今日は調子が良い!」
と。笑
いよいよ家にある機械と家族の力だけではケア出来なくなって、病院に戻った18時間後に亡くなりました。
僕の周りの優しいスタッフや仲間にスケジュールを調整してもらい、幸い看取る事が出来ました。
家族が1人いなくなるというのは本当に悲しいものですが、もう苦しまずに天国で楽しく過ごしていると思うと、同時に最高に嬉しいことでもあります。
僕自身が器用になれず、路上ライブ中に急におかしくなったり、制作中も集中出来なくて進みが悪かったり、
仲間にもお客さんにもたくさん心配や迷惑をかけてしまいました。
本当はこんな事も書かずに、皆さんには元気な姿だけをサラッと見せたかったのですが、
ちょっと誤摩化しきれなかったので、今回は正直に書かせてもらいました。
昨日、告別式を終えました。
あ、僕は本当にめちゃめちゃ元気です!
明日にでもレコーディングできるぐらい。
だから心配はしないでね。どうか。笑
心配しないでもらう為に書いているようなものなので。
告別式が終わったとはいえ、まだまだやらなくちゃいけない事が多いようで、
せっかくのゴールデンウィークですが路上ライブをやるのは難しそうです。
また、WONDERLAND3150の他コンテンツに関しても、今月はアップが遅れてしまいます。
申し訳ありませんがもう少々お待ちください。
大型連休の前に、くらーい話を書いてしまってこれまた申し訳ありませんが、
どうかどうか!!楽しい連休を過ごしてください!
僕は歌のレコーディングを再開して、良い歌録ります。
そして少し落ち着いたら、いつものように元気にまたお会いしましょう!
早く皆さんに会いたくて僕もうずうずしています。
明日からの新しい人生に乾杯~!!
そして、よく頑張った天国の母に、乾杯~!!
みなさんこんばんは!
最後まで、書こうか、書かないでおこうか迷ったのですが、
色々心配をかけてしまった方もいらっしゃるので、書く事にしました。
4月29日に、僕の母が亡くなりました。
元々病気がちだった母ですが、2013年のちょうど渋谷公会堂が終わった頃、胸にしこりが見つかって
検査をしたら乳がんでした。
翌年マウントレーニアホールでのライブは、ちょうど手術をした頃で、
ライブの緊張と手術の結果待ちで心臓がずーっとドキドキしていたのを覚えています。
幸い乳がんの手術は成功したのですが、その後、今度は肝臓がんが見つかって、
それまた手術をして無事に退院する事が出来ました。
退院して、ようやく一息!
という時に、妙な咳がコホコホと止まらず、検査をしたら今度は肺がんが見つかりました。
それが去年の4月頃です。
医者との家族面談があって、もう手術が出来ないという事を聞かされました。
ちょうど僕が「明日のリハ、ちょっと歌えない」と言った時です。笑
そこから1年間、母と家族の闘病生活が始まりました。
この1年は、とーっても楽しく、とーっても辛く、とーっても大事な時間になりました。
30年前、心臓病を持ったまま僕を出産した母は、僕を産んだ直後に集中治療室に数週間入り、
僕はその間、乳児院に預けられていました。
「産後にミルクもあげられず、抱く事も出来なかったから、不良になったらどうしよう」とよく言っていたそうです。笑
僕が小さい頃から、「私は60歳まで生きられればラッキー」
とよく言って、若い頃から体に無茶な事をしていた母ですが、最後の1年間は本当に命を大切に生きていました。
少しずつ出来る事が減っていく中でも、生きる事を決して諦めず、亡くなる前日まで毎日笑っていました。
亡くなる数日前なんかも、
『おっかさーん!大丈夫かい?』
『ゲホゲホ。私はもう長くない』
「っていうのを時代劇とかで見て大げさだなーと思ってたけど、本当にあるもんなんだねぇ。あはは。」
と、そんなことゲホゲホしながら言ってました。笑
とにかく家が大好きだった母は、亡くなる前日までの数日間、お医者さんに無理を言って家で過ごしました。
常に酸素マスクをしながら、ベッドの真横に置いてあるトイレにすら移動出来なくなっても、
自分の力で起き上がる事が出来なくなっても、声がほとんど出なくなっても、病院に戻るとは言わず。
「今日は調子が良い!」
と。笑
いよいよ家にある機械と家族の力だけではケア出来なくなって、病院に戻った18時間後に亡くなりました。
僕の周りの優しいスタッフや仲間にスケジュールを調整してもらい、幸い看取る事が出来ました。
家族が1人いなくなるというのは本当に悲しいものですが、もう苦しまずに天国で楽しく過ごしていると思うと、同時に最高に嬉しいことでもあります。
僕自身が器用になれず、路上ライブ中に急におかしくなったり、制作中も集中出来なくて進みが悪かったり、
仲間にもお客さんにもたくさん心配や迷惑をかけてしまいました。
本当はこんな事も書かずに、皆さんには元気な姿だけをサラッと見せたかったのですが、
ちょっと誤摩化しきれなかったので、今回は正直に書かせてもらいました。
昨日、告別式を終えました。
あ、僕は本当にめちゃめちゃ元気です!
明日にでもレコーディングできるぐらい。
だから心配はしないでね。どうか。笑
心配しないでもらう為に書いているようなものなので。
告別式が終わったとはいえ、まだまだやらなくちゃいけない事が多いようで、
せっかくのゴールデンウィークですが路上ライブをやるのは難しそうです。
また、WONDERLAND3150の他コンテンツに関しても、今月はアップが遅れてしまいます。
申し訳ありませんがもう少々お待ちください。
大型連休の前に、くらーい話を書いてしまってこれまた申し訳ありませんが、
どうかどうか!!楽しい連休を過ごしてください!
僕は歌のレコーディングを再開して、良い歌録ります。
そして少し落ち着いたら、いつものように元気にまたお会いしましょう!
早く皆さんに会いたくて僕もうずうずしています。
明日からの新しい人生に乾杯~!!
そして、よく頑張った天国の母に、乾杯~!!