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これは、秋田放送のラジオ番組「大人のための週刊ラジオ」のホームページで、2001年8月28日に公開された「親父のぼやき・第三弾」である。
ガーラ・アマノの「だめ社長日記」でも未公開の愚文であったが、ブログ開設後の内容稼ぎのためにアップさせていただいた。
(こういうこずるさが皆様のお叱りをうけるのよね~。す、すみません。)
どうしても、暇でヒマでしょうが無いと言う方、煙草でも楽しみながらお読み下さい。
(写真は、1月24日番組放送終了後の、相方の根田朋子ちゃんとのショット)
ーーーーーーーーーー(以下、2001年8月28日公開のもの)ーーーーーーー
「一年犬コロ、二年神様、三年天皇」
皆さんは、何のことかおわかりでしょうか?
小生の親父殿の高校時代(もちろん、戦時中の話ですが)の学年別の階級を表したものだそうだ。
時代を反映してか、神様よりも天皇陛下の方が、偉いことになっている。
さて、皇太子妃殿下、雅子様のご懐妊発表から数ヶ月経ったが、久しぶりに日本が喜びに沸いた。子供の時分から、横になって天皇陛下(昭和天皇)のお姿などをテレビなどを見ていると、
「きさ~ん(貴様の意)、陛下を横になってみるやつがいるか~!」
と、どやされたこともあり、皇室には随分興味をもって接してきた気がする。
今年の秋田は、お盆過ぎからかなり暑かったが、ここに来て急に秋らしくなった。
夏の終わりになると、もう10年前になろうか、あの暑い日を思い出す。
皇太子殿下が、その日秋田にいらっしゃっていた。
当時、アキタ電子株式会社と言う会社に在籍していた小生は、組合の定期大会の来賓の対応準備で、秋田市内から秋田空港へと向かう通称「空港道路」を、一路南下していた。
(アキタ電子殿は、日立製作所の系列会社で、組合はユニオンショップ制:つまり社員は管理職以外全員が組合員、となるものであった。いわゆる製造業での、労使協調の労働組合であったことは言うまでも無い)
途中、ものものしい数の警官、機動隊が立っており、道路が一時封鎖されるとのこと。
空港道路に接続する道路からの進入が、全て封鎖されていた。
間もなく、皇太子殿下がお通りになられる。
組合の来賓はすでに宿泊先へと向かっており、小生が先に到着しないと迎えの段取りができない。
やきもきしてはみたものの、殿下のお顔を生で(大変失礼な言い方ですが)拝顔することは、滅多に無かろうと思わず車を降りて、沿道へ。
進入待ちをして並んでいる車のオーナーたちも、ほとんどの方が車を降りて並んでいた。
ふと道路脇の小山を見ると、あちこちに機動隊の姿が。
なるほど、要人であるから、やはり万全なる警備が必要なのだろうと思い、突然の襲撃などに備えているのか、と何げに分析しているところへ、殿下の特別車が・・・・。
皇室の車は、特別仕様で狙撃に備え、窓ガラスは超防弾になっており、マグナム44クラスの弾でもはじき返すと、ものの本で読んだことがある。
エンジンその他も、黒塗りのベーシックな車体からは想像できないような、爆発的な潜在能力を持ったものだそうだ。(かなり、ハードボイルドっぽいね。ここまで)
但し、その能力をフルに発揮したことも、過去無いと読んだ。
しかし、殿下の特別車は、前も後ろも窓はフルオープンだった。
30度を超す気温のなか、殿下は背広の上着も脱ぐことなく窓から顔を出さんばかりに、沿道の人々に笑顔で手を振っている。
脇に立っていた、小生と同年代と思われるサラリーマンとおぼしき紳士が
「殿下~!」
と黄色い(?)声援を送っている。
今の日本は、ねたみ、中傷、誹謗が本当に多すぎると思う。
たった1人でもいいから、国民が誰も文句も言わず、みんなで愛せる人がいないものかと思ったりする。
今こうして書いていても、右だの、左だのと物議を醸されるかも知れない。
イデオロギーだの、思想だの難しいことではなく、そんな人が1人いて欲しいと思う。
殿下と雅子様のお世継ぎの赤ちゃんがそうなれば、なんて思った
夏の終わりでした。
親父のぼやき・・・・・、おそまつ。
(もちろん、この後、愛子様がお生まれになり、国民のアイドルとなっていることは申し上げるまでも無い。 2005.1.27 追記)