実はもう10年近く前のことになるのだけども、会社を起こしてすぐに
一度だけ選挙の仕事をした事がある。
県知事選の新しく立候補した候補の決起集会を撮影する、という仕事だった。
言わゆる出陣式を撮影してほしい、という事だったので、当時買ったばかりの
言わゆる出陣式を撮影してほしい、という事だったので、当時買ったばかりの
VX-2000を持って出かけた。
山王のとある会社の駐車場だったのだけど、すごい支援者の数で、場所取りに
山王のとある会社の駐車場だったのだけど、すごい支援者の数で、場所取りに
苦労したのを覚えている。
まだ、会社が3人だけだった頃だ。
かなり緊張気味のその候補が壇上に上がり、神経質そうに眼鏡に手をやり
まだ、会社が3人だけだった頃だ。
かなり緊張気味のその候補が壇上に上がり、神経質そうに眼鏡に手をやり
最初の第一声だった。
「秋田を変えたい!!!!」
「秋田を変えたい!!!!」
マイクを握りしめ、体をえびのように折って、吐き出す様に大声を上げた。
VX-2000のファインダをのぞきながら、その様子を見ていたおいらは、
「この候補はだめかも。」と率直に思った。
現職の知事の最大の対立候補という図式であり、支援者の数を見ても
現職の知事の最大の対立候補という図式であり、支援者の数を見ても
その演出は、十分うなづけた。
ただ、その第一声が良くなかった、と生意気ながら思う。
演説は、理屈ではない。その人となりを知らしめるものだと思う。
あきらかに演出された、第一声は民衆の心に響かない。
ただ、その第一声が良くなかった、と生意気ながら思う。
演説は、理屈ではない。その人となりを知らしめるものだと思う。
あきらかに演出された、第一声は民衆の心に響かない。
第一声は、聞いてもらうために、静かに話し始めるべきである。
何をか言わんや、である。
演説とは、あなたが言う(申す、だったら良いのだけども)のではなく
何をか言わんや、である。
演説とは、あなたが言う(申す、だったら良いのだけども)のではなく
大衆が聞く事なのだ、と思う。
(注釈:ここで実はナチスドイツでのヒトラーの演出に関する考察
(もちろん非難であるが)や、宣伝大臣ゲッペルスに対する大衆に対する
非道なるプロパガンダなどにたいして酔っているためか、延々と
勝手な見解がつづいていたので、ここでは省略させていただく。)
「秋田を変えたい」のは、あなたではなく、大衆なのだ。
そこであなたが絶叫したとしても、大衆の力がなければ、あなたは何もできないのだ。
大衆(あえてそういう言葉をつかわせていただくが)が、あなたに味方しない限り、何も起きない。
大衆は、あなたたちのものではない。
「秋田を変えたい」のは、あなたではなく、大衆なのだ。
そこであなたが絶叫したとしても、大衆の力がなければ、あなたは何もできないのだ。
大衆(あえてそういう言葉をつかわせていただくが)が、あなたに味方しない限り、何も起きない。
大衆は、あなたたちのものではない。
そして、私たちはいつも一人で、友達と家族と、仲間と寄り添って生きているのだ。
そして、大衆と呼ばれているのだ。
今回当選した方たちに申し上げているのでは、無いのです。
本当に、創業時の思い出なのです。
今回当選した方たちに申し上げているのでは、無いのです。
本当に、創業時の思い出なのです。
※実は書いたあとに、これはどうかなあと思って、下書きとして
残していたのですが、選挙も終わり良いかなあ、と思い公開しています。
他意はありません。会社創業当時を思い出して書いた次第です。
選挙中に書いた具文であります。
※追記 5/2
場所取りをしていた時、実はめっさ寒かったのです。
あとから追っかけて来てくれた細君が渡してくれた
ロングダウンジャケットが本当に暖かかった。
ありがとう。本人には言った事無いけど。