西方浄土
先日、義父さんの三回忌がありました。
その時、お寺で法要をしたのですが、読経のあと住職さんが、ひとことご挨拶を…ということで説法をされました。
”仏教が日本で盛んになった平安時代の末期あたりは、庶民の暮らしはかなり厳しいもので、きっと、毎日いきるのが必死だったのでは…。
だから、この世での幸せはなかなか掴めないもの。ならばせめて死んでから、あの世では極楽に行って幸せになりたい…と願っていたのではないでしょうか?
極楽は、夕陽の沈む西の方にあると言われ、「西方浄土(さいほうじょうど)」という言葉で表されます…”と。
私はそれを聞いて、ふとヒラメキました!
「平安時代の人も霊界の存在を知っていた、認めていたのだ!」ということに!
いま生きているこの世が全てで、死んでしまったら終わりだと考えていたら、このような発想は生まれないと思います。
だから平安時代の人も、きっと、霊や霊界の存在を信じていたのだと思います。なんか、うれしいなぁ~!(笑)