こんにちは、ゆなつです。
本日もブログにお越しくださり
ありがとうございます。
私のストーリーとして
結婚〜離婚〜退職〜現在までを書いています。
自分史としてその時の思いを思い出しつつ
その経験で感じた事を綴っております

長音記号1長音記号1長音記号1長音記号1長音記号1長音記号1長音記号1長音記号1長音記号1長音記号1長音記号1長音記号1長音記号1長音記号1長音記号1長音記号1長音記号1長音記号1


今まで私が歩いてきた道のり(ストーリー)をお伝えしています




30年近く勤めた会社を休職したところからの話、2017年11月〜2018年1月くらいまで。


これまで私は産休、育休以外に、仕事をお休みをした事がほとんどなく、自分の病気や怪我で長期に休んだ事が一度もなかったのです。


根本的に丈夫だったのもあるのかもしれませんが、気力と体力もあったんでしょう。


それがある時を境にだんだんと寝つきが悪くなり、朝が起きれなくなり、支度が間に合わず遅刻をするようになり、もしくは具合が悪いと休むようになりという状態。


職場のみんなに迷惑をかけたからと、休み明けは仕事を残業してこなす、そしてまた休むの繰り返し。


気持ちでは頑張らなきゃ!頑張るんだ!と思っていても、身体がはっきり休めと言わんばかりに拒否反応を示していたのです。


離婚をしてスッキリしたはずなのに、気持ちはスッキリしないし、次女は不登校ひきこもりから脱したものの、次の進路をどうしようかと悩む時期、


長女は発達障害だったと分かったけど、だからと言ってこの先どうしたら良いんだ?という漠然とした不安。


さらに長いひきこもり期間から別の精神疾患を抱えているのではないか?という気もしていました。後にわかるのですが、強迫性障害です。


この先にかかるお金のことも不安だし、将来のことも不安、どんなに考えても答えの出ない不安に苛まれていました。


そして、どんなに頑張って働いても、給料は右から左へそれぞれの支払いに消えていく空虚感、終わりのない先の見えないトンネルにいるみたい。


だから、先生からあっさり3ヶ月間休職の診断書が出た時はホッとしたのと、ガックリしたのと、へんな気持ちでした。


医師からも生活のために、今度はきちんと傷病手当金という制度を利用して行こうと提案され、それを承諾しました。
傷病手当金は最長1年半支給を受けられる。


医師からの診断を書類に記入してもらえば、1年半の間を休み続ける事ができるのですが、

途中少し良くなったからと言って安易に職場に復帰してしまうと、そこでその権利も期間も切れてしまいます。


だからある意味、それなりの覚悟を持って休みに入らないといけないという事です。


身体は休めと言っているのに、無理して復帰して、また具合が悪くなって休む事になると、結局、周りの人に迷惑をかける事になるという事です。


私はこの休職期間のまま、退職するのか、ギリギリで復帰するのか、それを考える期間にしようと思っていた。


実際に病院という職場だからなのか、精神疾患で3年間休職した後に復帰した人もいれば、そこからアルバイトとして復帰した人もいたし、

精神疾患を患った人からしたらとても優しい職場だったのかもしれない。


ただ私の場合は何となく漠然と、次の人生の歩き方を考えるための時期と捉えていた。


年収はかなりの金額をもらっていたし、役職も付いていたので、その年収と地位を手放してまで退職し、次に行くかという決断までは出来ていない。


だから、自分がこの休んでいる期間どんな気持ちになって行くのかを確かめる期間にしていた。


そして今までやりたかったけど出来なかった事をやる期間としても捉える事にした。


実際に休職し始めたまず3ヶ月間は、次女の次の進学先を決める時期だった。


全寮制フリースクールを出て、普通高校への進学。


次女の考えは、自宅から通学するのではなく、やはり寮生活をしたいという事。


理由は、通学する高校だと、また不登校を繰り返してしまうのではないか?という不安だ。


次女の気持ちは分からなくはなかった。長女がまさに中学から高校へ進学し、また不登校になっていたから、

それを目の当たりにして、自分だけはそうならないようにしたい!という強い想いからだった。


寮生活ができる高校と言っても、大体は勉強重視の学校か、スポーツ重視の学校か、はたまた、非行から更生させるための学校か、そんなところだ。


次女は勉強が出来る方ではないし、スポーツも何かに長けているわけでもない。


だからそうではなく学校を探すのはなかなか困難だった。次の高校を決めるために車や電車で地方の学校を見学しに出かけた。


もし私が仕事を続けていたら、休む事への罪悪感に苛まれ、到底出来なかった事だと思う。


お陰でこの期間中に見学を済ませて、私立の受験期間としてはギリギリの2月に全寮制高校の受験を受けて見事に合格する事が出来た。


そして、長女の方は年明けには成人を迎える年だった。本人の気力としても不登校になった地元の成人式に参加する気持ちはなかった。


でも、着物を着て写真だけでも映そうと説得して、これもまた11月の終わりに着物の試着に向かい、いくつかの着物に袖を通しているうちに、気持ちが上がってきてとても気にいるものを見つける事が出来た。


レンタルするのと、購入するのと金額が対して変わらないその着物を購入する事に決め、出来上がりは年末ギリギリだった。


無事に成人式当日も美容院で着付けを済ませ、地域の集まる会場まで行き参加する事が出来た。


さらに後日、写真撮影も撮ることができ、20歳の良い記念を残すことができた。


ただ、成人式に着物を着て参加する。


これを読んでいる方にとっては、ごくごく普通に誰でもできることだと思われるかもしれないが、


この当たり前にできるだろうという事が、今まではできずにいた。


どんなに前日にやろうと決めていても、行こうと決めていても、その日に起きれなくて、支度が終わらなくて断念したりする事がとても多かった。


親が急かしてもダメだし、焦らしてもダメだし、構い過ぎてもダメだった。


適度に放っておきながら、本人がやろうとする気持ちへ持っていく。


それが、次女にしても、長女にしても、やれば出来る!を体験させる事が出来た。


これを体験させるのには片手間ではできない。


やはり本当に子どもと真剣に向き合って時間をかけてやらなければ、成し得なかった事だと思うし、


こちらの真剣さも相手にも伝わらなかったと思う。


さらにこの3ヶ月の間、私もやりたい事を体験した。



長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2



LINEで友達登録募集始めました!


離婚や家庭内モラハラによる辛い状況や
コメントでは書きにくい内容などありましたら
LINE@へどうぞ吐き出してくださいね

友だち追加 

モラハラから自由になって
自分の人生をもう一度取り戻したいという方も
登録して友達になってください
 

今は本来の自分らしさを取り戻し場所や時間に
縛られない自由な生活を送っています


メッセージにはすべてに目を通してますが
すぐにはお返事できていません
ご了承ください(^^)


現在はカウンセラーとして活動しています

どうしても解決したい!
ちゃんと聞いてほしい!という方には
個別カウンセリングをお勧めしてます
LINE@でお問い合わせくださいね


あなたの人生は、誰のものでもない、
あなただけのものです!


自分のための人生を歩もう!と思った方は、
ぜひ私と一緒に進んでいきましょう!


それでは今回もここまで
お読みいただきありがとうございました!

長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2