302号室の患者は、私が精神科に赴任する前に、ずっと前に、いた。その患者は80年代の小柄の老人で、失語症になっているようであった。302号室の患者に関する情報といえば、たったそれだけにすぎないのであった。名前も知らず、生年月日も知らず、親戚もいるかどかも知らぬ。病院の中では単に302[サン・マル・ニ]と呼ばれ、我々には謎めいた存在でもあり、威風にみちた存在でもあった。私は302を担当している看護師で、一日にせめて一時間、時には三、四時間を費やして302と過ごしていた。一緒にいると302に必ず聞く。「お名前は何ですか」と。302は「ダテナ・カムイト・サン・ウラバエシ」といつも途切れて答えたのであった。私は先生の記録を読んだところ、『どうみてもそれが名前ではないから、302患者の訳の分からぬ言葉の意味を探らねばならないことになるであろう。302患者はいったい誰なのであろうか。』という文章が書いてあり、その先生が本当に意味付けようとしたのであった。私は、『伊達な神居賭さん末葉壊死』、という文章にたどりついた先生の意味付けをみた時に失語症になっているのは先生か302か分からなくなり、その記録を二度と読もうとしなかった。
私は時間を掛けて302の観察をして、失語症はさておき、不思議なことに気付いた。302の姿勢は美しく、妙な荘厳さを漂わせているのであった。例えば、病院の食堂にご飯を食べにくると、音を立てる杖にすがって寄りかかり、自分の足を引きずりながら和室へ向かった。和室の畳のふちにようやく辿り着いた時、杖を持った手を繊細に上げ、腰をそっとおろし、もの音も立てずに、膝をつくと杖を片隅に正しくたたせておくのであった。私は精神科の302を担当してほぼ11年経ったが、この11年の間は302は自分の垢染みた杖をこの片隅から落としたことがなく、杖も自ら落ちたこともないのであった。それが不思議でならないのであった。302はか弱い老人ではあるが302の身体意識が人並みではなさそうに見えた。この老人の動きや仕草には幾何学的な的確さ、それに近いものがあると私は信じていた。といっても、302の表情やくぐもった声は対照的に下品に見えることも多かった。それは失語症によるものか分からないが、302はいつも何かをぶつぶつ言っていた。私はよくそれに耳を傾けていたのである。「ガコレオラナ・・・イヤチャウナンダッケ・・・コラオレラナコニコルイガレオイダレダイ・・・イヤチャウナンダッケ」と少しの沈黙をおいて小さい声で呟くともなくぶつぶつ呟いた。それは殆どの場合、意味をなさなかったが、たまたま意味をなすこともあったのもはっきりと覚えている。たとえば、ある日、302は「ダダッコオランガラッコイル・・・コリャチャウ、チャウ!・・・イザナガレタラタコニナル、ナラン・・・」とくぐもり声で言ったのち爆笑した。私はその時分かった。正しい姿勢を保ったまま爆笑している302を見て分かった。302が狂気になっていること。302が何かを言おうとしていること。そう、家具の下に大切な物がもぐりこんだ時の手探りのごとく言おうとしていたのであった。302はいったい誰なのだ。
その老人の正体が明らかになったのは本人の死に際であった。それは二日前のことであった。302は激熱に悩まされ、私は皺だらけの額を汗をぬぐっていた。「コリャチャウ・・・」。ぶつぶつ言っていた。探していた。「チャウチャウ・・・コレガリャオレラ・・・」。302の目は天井をまじまじ見ていた。疲れた目をしていた。「イヤナンダッケ・・・コレガレオラナ・・・アアア」。私はその目を見るうちに聞きたくなった。人間の心は意味に飢えているのだ。私はあの先生と同然だとわかったのだ。私は手ぬぐいを額に抑えつつ、302の耳元に口をそっと近づいたのだ。302のくぐもり声にあわせて聞いた。
「おじさん・・・いったい・・・誰なんだ」。
言下に302は私の腕を強くつかまった。「ッコココ」と言いかけてひらめいた目をした。「これが俺なら・・・こっここにいる俺は・・・いったい・・・だれなんだ」とようやく言えたのち、微笑した。笑っていた目をして亡くなった。
当日、私は電車に乗る気分になれず、タクシーに乗って帰ることにした。タクシーのラジオは落語番組を放送していたが私はそれを聴くともなく聴いた。その落語の落ちは「これが俺ならここにいる俺はいったい誰なんだ」であった。すべて有意味なのであった。