コロナウイルスが世界のいたるところへと流行っている中、私の人生、と言ったら大げさかもしれませんが、せめて私の生活ぶりが変わった。大きく変わった。

 まず、イスラエルへ、母のもとへ帰りました。私は実は二重国籍でイスラエルのと、フランスのと両方の国籍を持っています。日本の家を出て成田空港へ向かったとき、変な不安を抱えていた。それは、成田空港から出発することが確実とはいえ、イスラエルという到達点にたどり着くことが不確実ということからの不安でした。まあ、拙い言い回しかもしれず、文法すら正しいか分かりませんが、とりあえず、こんな文章にしておきます。私が抱えていたこの不安は空港のチェックインのところを漂ってい、空港で働く方々の笑み顔にしがみついている気さえしました。

 人間って原子から現代まで地上を歩み、海を航行し、山を登り、世界を自由に巡るものです。とすると、その自由が奪われた今、我々の人間性を一部失ったと同然です。「人」という漢字は歩く人を描いているのではないか。そうです、コロナウイルスが流行るこの世界にいる私は切断された両脚の半人です。

 

 日本に行った理由は、ほかでもなく、日本語を書くためです。でも、今は日本にいません。書けません。

 

 書きたい気持ちでいっぱいですけれど、書斎に向かい筆を執ることはほぼありません。それは関係ないと、いま、あなたが思う、たぶん、でも、関係あるよ、と言わせてください。私は日本にいたら、何をしても、どこへ行っても、日本語を常に耳にすることができます。そのおかげで、「日本語の耳」を鍛えるのみならず、日本語の思考も鍛えられます。で、日本語で思考できるならば、自然に筆が日本語を語ります。

 現在、ヘブライ語かフランス語しか聞こえないのです。まあ、言い訳かもしれませんね。日本語で書きたければ即座に書けばいいじゃんっていう声もあげられます。いかにもそうです。書きたいという気持ちだけでは物足りないのです。正直にいうと、やる気がなかなか出ません。体験した魔法のように湧きあがる意欲は、私のコロナの世界には訪れて来ぬのです。息切れです。

 

 ですが、いまだに月を見て筆をいじって、あれ書きたいなあ、としばしば思うことが多くあります。