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きまぐれなよもやま話や趣味の話、そして心のふるさと「佐渡」を紹介しています。

今日も佐渡金山です…。
いろいろと語りたいことが多いのです…。
今回までは金山ネタでいきます。

今回ご紹介するのは、「北沢浮遊選鉱場」の遺構です。
数年前までは取り上げられることも多くありませんでしたが、
世界遺産を目指す関係?から、現地のツアーバスのコースになったり、夜のライトアップがあったりで、注目度が増しているようです。

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↑右奥、階段状の遺構が北沢浮遊選鉱場、左側は旧北沢選鉱場跡、手前左に見える円状の遺構は、50mシックナー。

この北沢浮遊選鉱場は、日中戦争が始まって、貿易に必要な金の重要性が高まった昭和期の「重要鉱物増産法」を背景に、前回の大立竪坑の強化と同様、昭和期に建設されました。1938(昭和13)年から一部の操業を始め、1940(昭和15)年にすべての設備が完成しています。

「浮遊選鉱」とは、従来の方法では回収できなかった細かな金銀粒を、浮遊材を使って泡とともに浮き上がらせて回収するというものです。
それまでは、銅の精錬過程で行われた選鉱方法でしたが、金銀採収に応用する研究が佐渡鉱山で重ねられ、ついに実用化に成功しました。これは、世界初の革新的な技術だったそうです。

これで、採掘した鉱石に加え、大量に採取された「浜石」を、月間約7万トンの鉱石処理が可能な浮遊選鉱場で処理し、、昭和15年には、過去最大の1537.9グラムの金が生産されました。この月間7万トンという鉱石処理能力は、当時、東洋一とも言われたそうです。佐渡鉱山の活況のピークと言えるでしょう。

しかし、太平洋戦争が勃発すると、海外からの経済封鎖が進みました。すもちろん、貿易用の金銀の生産は無意味となります。代わって、政府戦略物資である銅や鉛。亜鉛の採掘に重点が置かれるようになりました。
1943(昭和18)年には、金山整備令が発令され、選鉱場の設備、建屋のおよそ半分は供出されてしまい大きな打撃を受けました。

終戦後、佐渡鉱山の金銀採掘は再開されましたが、戦時中の無計画な開発のため、かつての活況が戻ることはありませんでした。そして、1952(昭和27)年、ついに鉱山の大縮小が行われ、この浮遊選鉱場も閉鎖となりました。

国策により繁栄し、国策により終焉を迎えた佐渡鉱山、そして北沢浮遊選鉱場。このラピュタを思わせる遺構の前に立つと、何か名状しがたい存在感・空気感を得るのは、果たして私だけでしょうか。

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↑手前が浮遊選鉱場跡、奥は旧北沢選鉱場

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↑ライトアップが幻想的。(昨年秋撮影、小雨降る寒い夜だった…)

もっといい写真があったはずなのに、見つからない…。ということで、少々不満足ではありますが、またの機会にUPします。

それでは!