少し真面目で重たい内容です。少しとりとめのないお話です。 | プロレスバカなオレの母が認知症になったからってキミには知ったこっちゃないかな?

プロレスバカなオレの母が認知症になったからってキミには知ったこっちゃないかな?

リングパレス育ち、北海道に住む50歳、ファン歴35年のプロレスバカです。
プロレスについてのアレコレやテレビネタ、日常の想いを綴ってます。
そして2016年からは母の認知症についても書き残すことにしました。


僕は宗教家でもないし何らかの宗教の信者でも哲学者でもないのだけれど、いろいろと(余計なことを?)考えることがあります。



うつ病を患ってから命や死について考えることが以前と比べ、ちょっとだけ増えた気がします。


世の中に平等と言えるものは実際にはほんの少ししかないと考えます。
貧富の差もそうですし、社会的な格差もそう。今現在の大きなものとしては被災地への救援の格差という問題もあります。


この時期にこんなことを書くのは無神経、不謹慎かもしれませんが、思うことがあります。


本当に平等と言えるものは「命の限り」つまり死だけではないか?と。


世の中には色々な人がいます。世界中にたくさんの人がいます。
人の数だけ、それぞれ異なる人生があります。
富も名声も手に入れる人。今日のパンにも困っている人。幸せな家庭を築く人もいれば一人ぼっちの人もいます。


僕たちは往々にして自分と誰かを比べてみては、不平や不満を感じています。


「隣の芝生は良く見える」と言います。


僕がうらやむ大金持ちのあの人が、じつは僕の身軽で気軽な生き方をうらやましがっているかもしれません。


僕が「かわいそうに…」と見えた人が、実は僕よりもずっと明るく、たくましく生きる術を身に付けているかもしれません。


僕が幸せなのか不幸なのか? その答えは見る人それぞれで異なるでしょうし、自分自身でも考えるタイミングによって異なるでしょう。


昨日まで好きだったあの人のことが今朝一緒に目覚めたときのひと言、たったひとつのしぐさだけで大嫌いになってしまうかもしれません。


この世の中で絶対的なものとはなんでしょう…。




つの症状が一番ひどかったときは、本当に知らないうちに「自死」が頭をよぎった瞬間もありました。幸いなことに僕は自分でそのことに気が付いて歯止めをきかせることが出来ました。


自分の心の奥底までは本当に数少ない人にしか、なかなか打ち明けられないものです。


こんな僕にも誰にも話せない苦しみ、この場では書きあらわせない悩みもあります。


けれど、何人もの人に力をもらいました。大好きなプロレスからも喜びを分けてもらいました。僕はそうした人やモノによって生かされているのではないかと考えることもあります。


今、仕事の無い僕には、たとえば震災の報道を見聞きしていても、出来ることは本当に限られています。


でも僕は僕に出来ることをする。何か出来ることを探す。時には楽しみながら、時には苦しみながら。時にはサボりながら。

きっと、そうして生き続けてゆくのだと想像しています。


「命の限り」が訪れるその日まで。