僕は2009年4月に、それまでの札幌支店勤務から東北支店(仙台市)へと異動になりました。
43年間、北海道以外で暮らしたことのなかった僕は東北人になりました。
住む土地が変わり、周りの人たちが替わり、扱い商品の部門が変わり、組織の体制も変わり・・・。
僕の心はだんだん疲れていきました。
そして2010年4月から、今度は仙台から盛岡の駐在に異動となりました。
また住む土地が変わり、周りの人たちが替わり、扱い商品の部門が変わり(前の部門に戻った)。
心の疲れがピークへと達しました。
やがて社内でリストラが具体化しました。
北海道の実家で、ちょっとしたトラブルも起きていた頃で、自分でも戻りたい気持ちもあったので、その道を選択しました。
ぶっちゃけ、リストラという手段に出た会社に対しては、恨みの気持ちが今もあります。
だけど、東北で出会った人々に対して、そんな気持ちはありません。
知らない土地で右も左もわからない、ともすれば「使えない人間」になりそうな僕を助けてくれた人ばかりです。
だから今回、震災の報道を見聞きするたびに、本当にみんなの安否が心配でなりません。
津波に吞み込まれた建物では何度か展示会に参加し、みちのくプロレスの試合を観戦しました。
会社の人たちと芋煮会をやった公園もあります。
気仙沼も石巻も釜石も、得意先さんのあった土地です。
本当にテレビを見ていて涙がこぼれます。胸が締め付けられます。
今は東北から離れた北海道にいる僕に、次の仕事がまだ決まっていない僕に、出来ることは本当に限られています。
けれども、小さな事かもしれないけれども、その限られたこと、出来ることはしたいのです。
本当に、今回の大震災が人ごととは感じられないのです。
今は本当に辛い状況にいると思うけれど必ず日本は立ち直ると信じています。
長い、長い月日が必要だとは思います。
それでも僕は信じます。
傷は残ると思います。
それでも立ち直ると信じています。
今夜も祈りながら眠りに就こうと思います。