第三次世界大戦の薄煙が上がった!!
日本及び世界の、国及び地域は、それぞれが沢山の問題を抱えて居ります。
国内や国外の環境や経済、社会や安全保障、外交や隣国問題など、など・・・。
頭の痛い、困難で 且つ 対策すべく解決すべき、懊悩深き課題だらけなのであります!!
その中で最大の悲惨事態は国際紛争、戦争でありませう。
現在の
1、ロシアのウクライナへの 軍事侵攻
そして
2、ハマスのイスラエルへの 武力テロ攻撃
以上が筆頭に挙げられるに左程、異論は無いことでありませう。
世界に紛争地は多々ありますが、その規模その世界に及ぼす影響力に於いて、上記 2ケ所に匹敵するものは他に在りますまい。
1、2 の戦争共にその規模、影響力は世界的なものであり、その現在の薄煙は過去の世界大戦の端緒を擦(なぞ)るが如くです。
そして直近、薄煙の中から火焔の陰険な舌先がチロチロと見えてきました。
世界終末予言というものがあります。
曰く
1、北欧神話予言
2、推背図予言
3、ホピ族予言
4、聖徳太子予言
5、仏教予言
6、ゾロアスター教予言
7、ファティマの聖母
8、聖書預言(旧・新約聖書) 等々
予言と預言とは異なります。
予言(predict)は未来のことを言い当てる事であり
預言(prophesy)は神から預かった言葉の意です
新旧約聖書には様々な預言者たちの、神からの言葉が記されているのです。
それ等は全て実現しています。
聖書の預言とは「全て実現した」そして「全てこれから実現する」神の言葉なのです。(高原剛一郎 牧師)
1916年春、ポルトガルのファティマに住む3人の子ども達、ルシア、フランシスコ、ヤシンタのもとへ「聖母マリア」が現れ、様々なメッセージを託されました。
子どもたちの噂が噂を呼び、やがて多くの人々が集まるようになります。そのような中、1917年10月13日、奇跡が起こりました。
人々の前に聖母マリアが出現されたとされる奇跡です。
そして多数の群衆の目の前で太陽が狂ったように急降下したり、回転したりを繰り返し、
その場にいた数万人もの群衆が、一斉にこの不思議な現象を見たのです。
この出来事は、その場に居合わせた新聞記者たちも同様に目撃し、あらゆる新聞で大々的に報じられたのです。
聖母マリアからのメッセージは大きく分けて3つ。
1、死後の地獄の実在
2、第1次世界大戦争の終焉と、その際の人々の悔い改めが無くば大多勢は地獄に落ち、更なる大戦が勃発する
3、三番目のお告げは「1960年になったら公開しなさい、それまでは秘密にするのです」と聖母マリアがルシアに厳命。
その内容は「ファティマ第3のお告げ」と呼ばれ、ルシアによって教皇庁に伝えられました。それを読んだ当時の教皇は衝撃の余り「卒倒した」と伝えられています。
しかし教皇庁は1960年になってもこのお告げを開示せず、発表したのは2000年になってから。
その発表の「1981年5月13日に起きた東欧の政権による教皇暗殺未遂の事」との内容には、多くの懐疑的な見方がされています。
事実、第三の秘密を託されたルシアは、その後修道女となり、2005年に97歳で亡くなりましたが、生前、「これはほんの一部でしかなく、バチカンは嘘をついている」と司法省に提訴した事実があるのです。
最終的には調停によって両者の和解が成立していますが、それは即ちバチカンが真実を隠していることを認めたという結果であり、第三の秘密とその他の「お告げ」はまだほんの一部しか公開されておらず、本質的には未公開で隠されているというのが真実なのです。
読者の皆様で
以下の奇妙な事件をご記憶の方はおられますか?
1981年5月2日。この日、アイルランドのダブリン空港から出発したアイルランド航空164便(ボーイング737。乗客103人、乗員5人)が、時限爆弾を巧妙に隠し持った一人の男にハイジャックされ、大騒ぎとなったのです。
然し、犯人からの要求が伝えられると、地上の関係者はその内容に困惑すると共に、唖然、茫然となりました。
その要求とは、「北フランスの空港に着陸せよ」そして
「ローマ法王は即刻『ファティマ第三の預言』の秘密を全人類のために公開せよ!」
・・・というものであったのです。
<ファティマの第三の預言>
・・・???・・・{何ですか?それは!!}・・・
航空関係者、警察、各国の外務省。当初、誰も知らず困惑の体。しかし、この件がバチカンに伝えられて概要が判明。犯人にはそれ以上の他意は無い、との認識により犯人確保の対策を講ずる。
結果的には数時間後、フランス特殊部隊の女性隊員の機転によって取り押さえられ、この騒動は簡単に収束した。
犯人の名前は、ローレンス・ダウニー、何と元カトリック修道士だったのである。
この呆気なく、大したこともなく終息した「奇妙な」事件によって、しかし、「ファティマの第三の預言」の言葉は世界中の人口に膾炙(かいしゃ)した。
言葉だけは多数の知るところとなったのである。・・・だが、その奥の意味が今蘇ってきているのです。・・・・・。
世の深さ 知るひとぞこそ とふとけれ
不意騒乱も 祈りのうちで
清水紫明