誤謬の訂正とはこの事だ | アジアの季節風

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 下の文章は坂口安吾の『不良少年とキリスト』と言う、太宰治のことを書いた作品の一部分である。

 

 私はこの作品を大学生の時に読み、その時初めて「誤謬(ごびゅう)の訂正」と言う難しい言葉を知った。

 

 そして自分も同じような事をしたことがあるなあと思い、かなり共感をした記憶がある。まずはその文章を読んでいただきたい。

 

《フロイドに「誤謬の訂正」ということがある。我々が、つい言葉を言いまちがえたりすると、それを訂正する意味で、無意識のうちに類似のマチガイをやって、合理化しようとするものだ。
 フツカヨイ的な衰弱的な心理には、特にこれがひどくなり、赤面逆上的混乱苦痛とともに、誤謬の訂正的発狂状態が起るものである。
 太宰は、これを、文学の上でやった。
 思うに太宰は、その若い時から、家出をして女の世話になった時などに、良家の子弟、時には、華族の子弟ぐらいのところを、気取っていたこともあったのだろう。その手で、飲み屋をだまして、借金を重ねたことも、あったかも知れぬ。
 フツカヨイ的に衰弱した心には、遠い一生のそれらの恥の数々が赤面逆上的に彼を苦しめていたに相違ない。そして彼は、その小説で、誤謬の訂正をやらかした。フロイドの誤謬の訂正とは、誤謬を素直に訂正することではなくて、もう一度、類似の誤謬を犯すことによって、訂正のツジツマを合せようとする意味である。》

 

 以上が『不良少年とキリスト』からの一部抜粋である。

 

 素直に「誤謬の訂正』と言う言葉を辞書で調べれば、多分「誤りを正しく直す」ということになると思うが、ここでは「フロイドの誤謬の修正」となっているから少し捻くれた解釈になるのだろうか。

 

 フロイドとは勿論19世紀から20世紀にかけて活躍した、あの有名な精神分析学の創始者であるジークムント・フロイトのことであろう。

 

 そのフロイトのいう誤謬の訂正とは、誤りを素直に訂正するのではなく、誤りを誤りに見せない(認めたくない)為に、類似の誤りを意識的に繰り返すことによって、誤りであることを誤魔化すと言うことらしい。

 

 これって我々も時々やりませんか?。少なくても私は子供の頃に何回かやった記憶がある。なのでこの文章を読んだ時ドキッとしたと同時に、ある種の共感をしたのだ。

 

 そして今何故私がこの言葉を取り上げたかと言うと、先日韓国国防省が日本の自衛隊機に何度か威嚇飛行をされたと抗議した、という報道を目にしたからだ。

 

 それはそれよりも前の例のレーダー照射事件の時に、そのことを誤魔化すために苦し紛れに、日本側が威嚇飛行をしたことの方が問題だろう、と居直ったことに対して辻褄を合せようとしているように私には思えたからだ。

 

 その報道を目にした時私は、ああ、まさにこれこそがあの「誤謬の訂正」と言う奴なんだな、と思ったのだ。誤魔化されてはいけないのである。