4 それぞれの道
十月も半ばを過ぎた頃瀬川から電話があり、アメリカに行く準備が大体出来たので五日後に出発することになったと言う報告があった。
だから最後にもう一度お前に会いたいから今晩そちらに行っても良いかというので、それだったら俺の方が行くと言ってその日の夕方に私が彼の住んでいる街まで出かけて行った。そして彼のアパートに一晩泊まり呑み明かした。
その三日後に今度は山本といつもの飲み屋街でまた酒を呑むことになった。山本がアルバイトで結構稼いだので、奢ってやるから久しぶりに付き合えと電話をしてきたのだ。
私はいつものように断る理由もないので山本のその誘いを受けた。そう言えば山本とは夏にやっていた建築設計事務所のアルバイトの打ち上げで呑んで以来だったので、二カ月ぶりのことだった。
市内の有名なデパートの前で待ち合わせをした後、その足で近くのいつもの飲み屋に入った。席に着くなり山本は自分の近い将来の展望について熱く語り始めた。
私は全く知らなかったのだが、山本は八月の終わり頃からその街にある映画の撮影所のセット造りのバイトをしていたらしく、それが結構自分に合っていたようで、これなら一生の仕事としてやっていけそうだと思ったらしい。
「俺もさすがにいつまでもあんな学校でブラブラしているのが厭になってきた。もう院なんて辞めて会社を興すことにする。映画のセットを造る会社だ。
大した仕事ではないが、まあ食うぐらいの金にはなりそうだ。今回バイトをやってみてあの仕事の大体の感覚は掴めた。
今年いっぱいくらいは今の会社でやってもう少しコツをつかんだ後、来年早々にも自分の会社を創って自分でやるつもりだ。一緒にやる仲間も何人か見つかった。お前もやるなら加えてやっても良いぜ」
「へえーっ、会社を創るんですか?。凄いじゃないですか。よくわかんないけど、会社を創るには結構資本金とか要るんでしょう。そんなのはどうするんですか?」
私は取敢えず頭に浮かんだ質問をぶつけてみた。
「ああそれは何とかなる。オヤジに話したらそれくらいの金なら用意してやると言ってくれた。それと工房も山の中に安いところを見つけた。資材倉庫になっていたところだがそこを改造して工房にする」
山本はそんな感じでこれからの夢を語った。私は勿論そんなことをする気は全くなかったのではっきりと断ったが、山本がそんな風に前向きに生きていく決意をしたことは決して悪いことではないと思った。
もしかしたら京子がもうすぐ大学を辞めることとも少しは関係があるのかもしれないと私は思ったがそれを直接確かめたわけではない。
山本のそんな話を聞いて、山本にしろ瀬川にしろあるいは先日出会ったジュンにしろみんなそれぞれ自分の道を見つけてその道を歩み出そうといる。
なのに私だけがまだ何も見つけられないでいるのが、何か取り残されてしまったようでちょっと寂しく、また情けない気持ちにもなった。
それでもその居酒屋で気分良く酔った後、山本はまたもう一軒付き合えと言うので付き合うことにした。二か月前にも行ったことがある例のスナックだ。
その夜は私と同世代の女の子は休みだったのかいなくて、店側はママとユリの二人だけだった。ママもユリも私の顔はちゃんと覚えてくれていて「あらいらっしゃい」と笑顔で迎えてくれた。
客はサラリーマン風の三人組が一組いるだけで、彼らは自分たちだけで仕事関係の話をしている風だった。
だからユリは時々その三人組のウィスキーが無くなったら注ぎに行くだけで、殆ど私の前にいて相手をしてくれた。山本は勿論ママと喋っていた。
ユリは二カ月前と全く同じで明るくて素直で、それに包み込むような母性本能を感じるのも同じだった。
「ねえ、この前の夜のこと憶えてる」ユリは二か月前のことを聞いてきた。
「全然憶えてないよ。そうそうその話が聞きたかったんだ。あの時俺はどうやってアパートまで帰ったの。それに何か失礼なことはしなかったか?」
「やっぱりそうだったのね。じゃああの後この四人でラーメンを食べに行ったのも憶えてないのね」
「全然憶えてないよ。そんな所に行ったことすら全く記憶にないなあ。そうだったのか」
「そうよ。でもあなたはラーメンも食べずに、そこでもビールばっかり呑んでたわ。そして店を出た時はもう足もおぼつかない状態だった。
だから私が肩を組んであげてタクシー乗り場まで連れて行ってあげたのよ。じゃあタクシーに乗る前にキスしたのも憶えてないのね」
「えーっ、そんなことしたの。ごめん、ごめん。でもせっかくキスしたのに何も憶えてないよ。勿体ないことしたなあ」
「えっ、お前そんなことしたのか?お前も隅に置けない奴だなあ」横からまた山本が口をはさんだ。
「山ちゃんは黙っといて。話がややこしくなるばっかりだから。これはここだけの話なんだから、ねえ」
ユリはそう言って山本の話をかわした後、例の白い清潔そうな歯を見せて笑った。(つづく)