金色堂(追記あり) | 鬼妻ファイト日記

鬼妻ファイト日記

毎日の姑とのバトル日記を、完全卒業しました。
10年の在宅介護を終えてからの姑は、施設に2年、療養型病院に
2年入院しましたが、令和4年11月3日(文化の日)に、97歳にて他界しました。
これからは、自分の老後の日記を書いていこうと思っています。

一番行きたかった平泉の金色堂。

 

 

金色堂について │ 中尊寺を知る │ 関山 中尊寺[岩手県平泉 ...

(画像はお借りしました)

 

平泉も決して涼しくはありませんでした。

ミンミンゼミがうだるような声で鳴く森の中を通って行ってきました。

 

 
 
 
 
 
このあたりはカメラOKでした。
 
駐車場に向かって歩いていると、蓮の花が咲いていました。
今から900年前の1124年に上棟されたという金色堂。
奥州藤原清衡公が、極楽浄土の有様を具体的に表現しようとしたのだそうです。
往時の工芸芸術が集約された御堂とも言われております。
壮大で美しく古の人たちの巧みな技にただただ感動しました。
 
本当は夫が先に訪れる予定だった金色堂。
コロナで中止になったのをとても残念がっておりました。

 

追記:

松尾芭蕉も大きな関わりのある金色堂。

その時詠んだ句をみんなで覚えるのですが、なかなか難しく、みんなで帰る途中、ボケ防止で思い出す練習しておりました。

みんなまだちゃんと覚えているかな?(笑)

 

五月雨の降り残してや光堂

 

この意味をこれまたみんなで検討し合ったという懐かしい句になりました。