久しぶりに聞いた「言論の自由」 | 鬼妻ファイト日記

鬼妻ファイト日記

毎日の姑とのバトル日記を、完全卒業しました。
10年の在宅介護を終えてからの姑は、施設に2年、療養型病院に
2年入院しましたが、令和4年11月3日(文化の日)に、97歳にて他界しました。
これからは、自分の老後の日記を書いていこうと思っています。

いつもながら「言論の自由」をかざすなら、何言ってもいいのか。たとえそれが人を傷つけるような言論であっても、相手に迷惑をかける行為であっても、自由なんだからいいじゃないかって、どう思います?

 

そして、こういう出来事が起こるといつも「自由とは何か」の論争が始まる。

 

とうとう「つばさの党」が衆院補選での選挙演説妨害の疑いで、事務所を家宅捜索されたとのこと。

他候補の演説中に拡声機で話したり、走行中の他候補の選挙カーを追いかけたりして、選挙の自由を妨げた疑いありと言うのだ。

疑いではなく、まさに妨害そのものの映像が映し出されていた。

党の代表は、堂々と「言論の自由を脅かすものだ」と言っていた。

まさに「言論の自由」を逆手に取った非行だと思われるが、こうした行為にだれも有権者は肯定する者はいないだろう。

いい大人が、しかも党と名を打った政治家のはしくれが、他の候補者を口汚く罵る姿に、だれが共感するのだろうか。

 

選挙以外でも、自由と言う名の下でやりたい放題を平気でしている輩はどこにでもいる。

 

こんなコラムも目にした。

 

列車の指定席で男が傍若無人にふんずりかえる。

作家の伊集院静さんが注意したところ、言われたそうだ。

金を払っているんだからどうしようと構わないじゃないか、と。

「たかだか金を払ったぐらいで、好き勝手が出来る場所が社会のどこにあるんだ。

好き勝手したいなら、この車両ごと切符を買ってやれ」

小気味いい啖呵に胸がすく車掌さんもいるだろう

 

まさに「自由のはき違い」である。

「自由」と「自分勝手」は全く違うものである。

「自由」には責任が伴うということを忘れてはならない。

「自由」だから何をしてもいいのではないことは、法律があるからわかると思う。

 

いつも思う。

日本はこれからどこを向いて歩いていくのかって。

黒いものが白いものにならないよう、それだけは阻止したいものです。