尊富士、優勝おめでとう! | 鬼妻ファイト日記

鬼妻ファイト日記

毎日の姑とのバトル日記を、完全卒業しました。
10年の在宅介護を終えてからの姑は、施設に2年、療養型病院に
2年入院しましたが、令和4年11月3日(文化の日)に、97歳にて他界しました。
これからは、自分の老後の日記を書いていこうと思っています。

今日はやっぱりこの話題を取り上げなくては。(笑)

 

またまた若くて威勢のいい力士が出てきましたね。

尊富士と言い、大の里と言い、二人共好感の持てる若い力士ばかりです。

 

実は、今日は娘と「名古屋をどり」の観賞に行ってきたのですが、娘の車に乗せてもらって行ったのです。

その車の中で、話す話題と言ったら、なんと「大相撲」のこと。

 

「ねえ、今日、尊富士、出場するのかな?」と私。

「ニュースでは休場するって言ってなかったから、出るんじゃない?」

「でもさ、昨日の様子を見ていたら、どう考えても無理じゃない?」

 

誰だって、昨日の車椅子で運ばれて行った姿を見たら、無理だと思いますよね。

 

 

 

なんせ、相撲好きな母娘、こんなことが話題になるんですから笑っちゃいますよね。

姉なんか、

「あなた、おデブちゃんが好きなのね」

なんて嫌味言うんですよ。失礼な、ねっ!

 

「名古屋をどり」を見終わって(途中で出てきましたが)、娘宅で孫くんと少し遊んで帰る途中、大相撲を思い出し、車の中で大相撲を見ることに。

ちょうど尊富士と豪ノ山の取り組みだった。

お!尊富士、やっぱり出ることを決心したんだ!

と、やはり一番は驚き以外の何ものでもなかったのです。

足首には痛々しい包帯が巻かれております。

こうなったら、負けてもいいから、大の里に負けてもらうしかないなって思いました。(不謹慎!)

 

娘は、

「豊昇龍は負けると思う」

と予想するのですが、私は、

「いやいやいや、あの負けん気の強い豊昇龍が、髷も結えない若僧に意地でも負けるわけがない」

と言ったのです。

この予想は、私に軍配が挙がりましたね。ふふふ。

 

尊富士が相撲を取る前、向こう正面の解説の舞の海は、まともに濠ノ山に当たったら勝てるわけがないと見ていたようで、立ち合い変わるかもしれないと言ってましたよね。

いやいやいや、尊富士は、堂々とぶつかっていき、豪ノ山の勢いを止め、しかもなんと組んだのですから驚きました。

きっとアドレナリンが出っぱなしで、痛みなんか飛んで行っていたのでしょうねえ。

 

いやあ~、感動しましたねえ。

尊富士が、好青年だったから応援したのです。

終わった後の笑顔が、本当に心の底から思わず出た素直な笑顔で、これまたオバサンはキュンとしてしまいました。

 

せっかくの優勝インタビューは、出かけていたので見られなかったのですが、スズさんのブログで拝見させて頂きました。

 

大の里も尊富士も、きちんとインタビューに答えるので感心しました。

「頑張ります!」

「一番一番取るだけです!」

決まり文句の答えには辟易していたので、こっちも好感が持てました。

それにしても尊富士って、筋骨隆々としてませんか?

実は、廃部になった日大のラグビー部から来たとか?

な、わけないよね。(;^ω^)

 

またまた相撲が楽しくなってきました。