悪いことは重なります(--〆) | 鬼妻ファイト日記

鬼妻ファイト日記

毎日の姑とのバトル日記を、完全卒業しました。
10年の在宅介護を終えてからの姑は、施設に2年、療養型病院に
2年入院しましたが、令和4年11月3日(文化の日)に、97歳にて他界しました。
これからは、自分の老後の日記を書いていこうと思っています。

エッセイの編集仲間は、今日は遅くなったし、疲れているから外食しようと言って別れたのですが、私も家に着いたのが7時ちょっと前。

さすがに夫から、

「あなた、ひどい顔しているよ」

って言われる始末。

 

前に懇意にしている料理屋さんの大将が、白内障手術で1カ月休業すると言う話を書きましたが、その時、土曜日に蕎麦を食べに来てと奥さんに言われていたのです。

ところが、私はスマホを修理に行かないといけないし、実は印刷の仕事もトラブルが1つあって、その残りを印刷しに版下をやってくれている彼女と今日、行くことになっていたのです。

なので、夫が、

「あなた明日も忙しそうだから、今、蕎麦食べに行かない?」

と言ったので、疲れてはいましたが、行くことにしたのです。

 

スマホがないので写真は撮れなかったのが残念でしたが、

キンキを焼いてもらったり、上等のお刺身を頂きました。

最後にお蕎麦を頂いたのですが、夫が天婦羅も頼んだのです。

私も海老天を1本頂きましたが、夫が、こんなことを言ったのです。

「あれ?これって山菜の天婦羅だよね?なに?」

「あゝ、それ、フキノトウ」

って奥さんが答えたのです。

「え?それ、私も食べたかったな」

って言ったら、奥さん、気を利かしてフキノトウの天婦羅を4つも揚げてくださったんです。

美味しかったです。

写真がないのが残念。(笑)

夫は、またまた日本酒をたくさん頂いたのです。

 

これが悲劇の始まりでした。

 

実は、この日寝不足だったのです。

4時まで眠れず、その後も眠った気がしないまま朝を迎えたのでした。

体調すこぶる悪かった上に、揚げ物を頂いたのが悪かったのでしょう。

夜中に胃液が込み上げ、吐き気をもよおすまで悪化したのです。

 

這うようにしてトイレに行き、自分でビオフェルミンを飲み、落ち着こうと思ったら、過呼吸になったのです。

こんな症状を起こしていると言うのに、夫は酔っぱらってぐっすり眠っております。

こんなヤツ、ゼッタイ介護なんかしてやるもんか!

って殺意まで湧きましたわ。

 

それでもビオフェルミンが効いたようで、過呼吸も収まり、胸やけも収まり、朝まで眠ることが出来、今はもう完璧に復活しております。

 

取り敢えず、懸念事項はすべて解決し、もちろんスマホも復活し編集委員の皆にも、昨日のお礼と無事印刷が終わったことを報告することが出来ました。

 

念のために朝も昼もご飯を抜いたので、それが良かったのかもしれません。

 

明日は、三味線の弾き初め会です。

ぶっつけ本番です。(笑)