介護の落とし穴は「依存」 | 鬼妻ファイト日記

鬼妻ファイト日記

毎日の姑とのバトル日記を、完全卒業しました。
10年の在宅介護を終えてからの姑は、施設に2年、療養型病院に
2年入院しましたが、令和4年11月3日(文化の日)に、97歳にて他界しました。
これからは、自分の老後の日記を書いていこうと思っています。

ブロ友さんのご主人が、お風呂で脳貧血で倒られ、腰を強打し、今はブロ友である奥さんが、ご主人を介護する形になっておられます。

そこで、彼女を悩ませているのが、奥さんへの依存です。

動けないご主人は、何かと彼女を呼ぶようです。

それが今のブロ友さんのストレスになっているってわけです。

 

私が、ナニサマの介護をしていて何がツラかったかと言うと、この「依存」でした。

事あるごとに、私の名前を呼ぶナニサマに辟易して、最後は声も聞きたくないっていう状態になりましたから。

だから、ブロ友さんの気持ちがよくわかるのです。

 

今日の『徹子の部屋』のゲストは、キャスターでジャーナリストの安藤優子さんでした。

生キャスターを退いて3年が経つって言ってましたね。

変わらない姿で驚きました。

彼女のお母さんは、お洒落な方で、子どもたちにもオシャレさせるのが好きだったようです。

生地屋さんに連れて行って、気に入った生地を選ばせて、そのまま仕立て屋さんに行くような人だったとか。

なんだか私の母に似ているなって思いました。

もっとも私の母は、仕立て屋さんなんかには行かなくて、自分で仕立てたんですけどね。

 

料理も好きで、オシャレも好きで、おしゃべりも大好きだったお母さんがよもやの認知症。

お父さんが看ていたそうですが、そのお父さんが病気で先立ってしまい、独り暮らしを始めたそうです。

姉妹で通い介護をしていたけれど、だんだん依存度が強くなり、ワガママも言うようになってきたと言います。

ヘルパーさんを入れると、知らない人がキッチンに入るのをすごくイヤがり、断ってしまうのだそうです。

娘が行くと、四六時中、名前を呼ぶんだそうです。

最後は、もうその呼ぶ声がストレスになったと言うのです。

これって経験した人でないとわからないストレスだと思います。

 

とうとう施設を選択したのですが、3人の子どもたちを罵ったそうです。

認知症がそんな風に荒ぶらせるんだろうと思ったと言います。

施設で介護員の優しさや、セラピー絵画に出会って、お母さんが「自己肯定」出来るようになって、穏やかさを取り戻したそうです。

 

安藤優子さんから介護の話を聞くとは思っていなかったけど、内容が、介護した者にしかわからないものだったので、ブロ友さんの話も交えて、ここに紹介させて頂きました。

 

介護はどこまでいっても大変です。