久しぶりに、介護の話です。
ブロ友のナラちゃんのブログをリブログさせて頂きました。
私も介護を終えた今だから、冷静に物事が考えられるし、優しい気持ちも湧いて来ているんだと思います。
介護を始めた時は、何もかも模索中でただただ一生懸命だったことを思い出します。
ワガママな姑の言うこともすべて聞いていたし、すべてやってあげていたのでした。
それが介護だと思っていたところもありました。
だから、半身不随の姑の入浴介助も一人で出来たんだと思います。
ただ使命感と責任感だけが、私を支配していたんだと思います。
これを仕事しながらやっていたわけですから、どうやって日々を過ごしていたんだろうと今は思います。(苦笑)
でも、ただ一つ幸いだったのは、姑が最後まで認知症にならなかったことです。
もちろんおかしなところはありましたが、物忘れ程度で済む程度だったので、どうしようもない言動まではいかなかったことが今思うと助かりました。
ナラちゃんは、認知症を発症したお母さんに対して、最後の方は
「段々、母の家の匂いすら嫌になって、玄関開けた途端、胃が痛くなったり、吐き気がする時もありました」
と語っております。
介護した者にしかわからない精神的苦痛です。
私も、時々家に帰るのが嫌になることがありました。
救ってくれたのは、孫の存在だったと思います。
毎日それこそ大変だったけど、孫の世話をすることで、姑の介護に一途にならなくて済んだことがかえって救いだったと思います。
姑の顔も見たくない、声も聞きたくない、と何度思ったことでしょう。
名前を呼ばれるたびに、それこそ吐き気がしたものです。
これはもう理屈じゃないんです。
だから介護は大変なのです。
昭和の人間は、親を施設に入れることをまるで「姨捨山」にでもやるように思っている人がおります。
昔は、寿命が短かったんです。
60,70で亡くなっても「老衰」の時代です。
だから、介護の期間も短く、苦しむ期間も短かったから、在宅介護も可能だったんです。
現代は違います。
100年時代ですよ、しかも健康寿命は70代半ばと来れば、その後の介護期間が長くなるのは当然です。
しかもそのあたりから認知症も発症する確率が高くなるわけです。
施設や介護サービスにお願いすることは、今や当たり前のような時代になったのです。
介護は長くなればなるほど、介護する者の心を蝕みます。
介護する人は決して抱え込んではいけません。
捌け口を見つけておかなければなりません。
私にとっては、このブログがその捌け口でした。
おかげで乗り切れたのです。
今なら、介護している人の愚痴も聞いて受け止めてあげることも出来るような気がします。
介護のテーマは永遠の課題です。
こんなことを書いている自分自身が、介護されてもおかしくない年齢になってきています。
自分のためにもがんばって生きていきたいものです。