介護から離れても介護の話は気になる | 鬼妻ファイト日記

鬼妻ファイト日記

毎日の姑とのバトル日記を、完全卒業しました。
10年の在宅介護を終えてからの姑は、施設に2年、療養型病院に
2年入院しましたが、令和4年11月3日(文化の日)に、97歳にて他界しました。
これからは、自分の老後の日記を書いていこうと思っています。

介護日記を書いていた頃に、たくさんのブロ友さんが出来ました。

多くは、私と同じような境遇の人ばかりです。

在宅介護の人もおられたし、通い介護の人もおられました。

中には、一足早く介護を終えられた人もおりました。

随分と、心の支えになって下さり、救われたものです。

今は、私は介護を終え、自分の老後生活を愉しみつつ、自分はナニサマのようにはならないぞと固く決心しているところです。

 

そんな私と同じように、未だに介護に苦しめられているブロ友さんがおられます。

彼女はまだ現役で働いている身なのに、通い介護とは言え、両親に振り回され、そのたびに飛んで行って世話をしております。

私から見たら、究極のワガママ両親です。

お母さんは、もう認知症を発症しているので、かなりご主人であるお父さんに暴言を吐くようです。

お父さんももう健康ではないので、病院通いも多いし、入院も何度もされたようです。

とにかく、妻であるお母さんが、お父さんにあまりにも暴言を吐くので、お父さんはお母さんと暮らしたくないようです。

なのに、お互い施設には行きたくない。

お母さんは、暴言を吐きながらもお父さんと暮らしたいようです。

せめて、お父さんだけでも施設へと思っていても、施設からは断られる態度のようです。

 

二人では何とも出来ないので、彼女に頼りっぱなしで、電話ばかりしてくるので、彼女は世話するために両親の元へ行かざるを得ないと言うわけです。

 

彼女のブログを読んでいると、本当に気の毒になります。

確かに、ナニサマだって施設には行きたくなかったと思います。

それでも、脳梗塞で倒れた直後は、施設に行くことを覚悟していたようです。

そんなナニサマを引き取って10年在宅介護をしたわけですが、

いつの間にか、出来ないことが増えていくナニサマに、私が追っつかなくなり、施設の話を出した時、ナニサマはどう思ったのでしょうね。

恨んだかもしれませんね。

でも、それを口に出す人でなかったことが、ありがたかったです。今、思うとね。

 

そのブロ友さんは、体を何度も壊しております。

私はストレスから来ていると思っていますが、彼女は気丈なひとなので、「まだ大丈夫」と言い聞かせながら頑張っているみたいですが、お願いだから、ご両親より先に逝くなんてことのないよう自分の体を優先してくださるよう祈っております。