今日は、3連休の1日目。
天気はいいし、絶好の行楽日和です。
思い起こせば、去年の11月3日。
友だちと駒ケ根に紅葉を見に行く約束がしてあったので、出かけた私。
高速を走っている最中に、
「ハハ、キトク、スグカエレ」
の電話が来たのでした。
友だちを巻き添えにするわけにもいかず、
「ごめん、帰れない。間に合わなかったらごめんって言うしかない」
と、返事したのでした。
結局、私が帰ってくるまで待っていてくれたナニサマでした。
そんな今日「文化の日」。
コロナでずっと中止になっていた我がクラブの親睦旅行が、4年ぶりに再開したのでした。
行先は南信州の「満蒙開拓平和記念館」。
私たちが知らなかった歴史がそこにありました。
中国東北部にかつて13年間だけ存在した幻の国”満州国”。
ここに日本から約27万人の農業移民が渡ってきました。
「満蒙開拓団」です。
夢を抱いて渡った新天地でしたが、1945年8月9日、ソ連軍の侵攻で満州は戦場と化し、開拓団の人たちは広野を逃げ惑います。
終戦後も祖国に帰ることが出来ず、難民収容所では飢えと寒さで大勢亡くなりました。(記念館パンフレットより抜粋)
満州国は、日本のいわば掠奪から出来た国だったわけで、国連から国と認められなかったことから、満州国の悲劇は始まっているんだと思いました。
なので、長く満州国の話は、語ってはいけない、あるいは心に封印された出来事と化してしまったため、私たちは知ることなく来たのでしょう。
私は、たまたま、その満州から引き揚げてきた仲間がいることを知り、この問題が身近なものとなったのでした。
彼は、満州で両親と6人の兄弟を失い、ただ一人帰ってくることが出来た奇跡の人なのです。
その引き揚げ船での苛酷さを綴ったエッセイがあり、涙無くして読むことは出来ませんでした。
記念館では、DVDを見て、館長さんからは「満蒙開拓団」のさらに詳しい内容を教えて頂きました。
なんだか、心が重かったですが、こういう苛酷な歴史はやはり後世に伝えていくべきだと思いましたね。
戦争から人類は何を学んできたのだろうか。
平和はなぜ続かないのだろうか。
そんなことをふと考えさせられた開拓団の話でした。
さらに続きます。