古武術を考える | リハビリとか科学とか合気道とか

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古武術の起源はわからない。


人と人が争うと基本的に何でもありの状況だったのは想像できる。


体格の大きい者が有利で、

でも小柄でも工夫するものが居て(体術)、

近くに何か武器になる物があれば使用し(武器術)、

時には石、木の棒、動物の骨、砂だったかもしれない。

武器を隠し持ったり(暗器)、

不意打ちしたり、罠を張ったり(暗殺)、

一人で勝てなければ誰かと組んだり(謀略)、

複数同士が敵対し集団戦になったり(戦略)、


まさに命懸けなのでスポーツと違ってルール無用、あらゆる手段が混在していたでしょう。効率良く勝つ者が居れば真似をしたり、指導を依頼することもあったでしょう。

また大陸から武器が伝わっても使い方を知らないと戦えない。となると簡単な体系(マニュアル)が引き継がれたでしょう。


これらは全て戦うための技術=武術の萌芽であり、次第に効率の良い技術が残り、時代に応じた武器の扱い方がまとめられ伝達される。それは同時代の人同士だけでなく、何世代も伝わり文化の様相を示す。


弓が主力の時代には弓術、

騎馬戦が主体の時には馬術、

合わさると騎射戦となり馬乗で弓を扱う技術となる(騎射三物:きしゃみつもの=犬追物、笠掛、流鏑馬)。

槍が主力になれば槍術、刀が主体になれば剣術、鉄砲が伝われば砲術、組合になったときの(また相手の首を取るための)体術。

集団戦になり役割が分かれるほどに技術は細分化されるし、

またどの役割でもある程度こなせるように異なる技術を体系化して効率良く学ぶための共通した身体の運用術、稽古法も必要となる。


これらはまさに現在残っている古武術と変わらないでしょう。


いつが起源というよりは自然発生し自然淘汰された感じですね。


ちなみに時代で見れば先のブログで書いたように明治が転換点で大日本武徳会を通した政府主導の整理によりいくつかの体系にまとめられてしまう。

また戦後はスポーツ化され実践性が除去される。


古武術は名前の影響もあり古い、現代では使えないといった印象があるかもしれない。

でも新しい、古いは自然淘汰の歴史では無く人為的な統制の結果できたものなので古武術の「古」は実は適当ではない。

扱う武器は古くても、いろんな場面で扱える身体作りと考えれば現代でも十分実用的でしょう。


現代武道は古武術を基礎にしているけどルールを基に人為的に操作されており本当の意味での実践では問題があるでしょう。例えば組み合って懐に背中から入ってきたら、生き残って勝つためなら相手の顔を潰しに抑えたり首を締めに行くでしょう。ナイフ持ってたら勝機とみなし突き刺すでしょう。防具で身体を固めてたら正面から向かわないでしょう。死角をついたり、動きづらい方向から攻めたり考えるでしょう。寝転んで構えてたら踏み潰しに行くでしょう。

また時代の流れで言えば重火器がある現代では古武術と同じ古い技術に分類されるかもしれません。

いっぽう安全に稽古でき、汎用化されてるので広く高い技術を身につけやすいといった点は利点かもしれません。技術は競い合うことで確実に高くなります。


すなわち古武術も現代武道もあくまで人為的な区分であり、見方によって利点も欠点もあり、つまり人によって良くも悪くも見えているだけなのかもしれません。


自然淘汰されている歴史から考えると、

イルカとウミウシのどちらが進化しているのか?

という問いに等しいかもしれません。