皆さん、おはようございます。
吉村涼子です。
防犯防止やその他の事情により
書いた日と掲載が遅れています。
ご了承ください
今日は注文していた雑誌が届きました。
ディスカバリーJapanです。
空港のラウンジで読んでから
これはいい!と思い
取り寄せました。
空海の世界が
分かりやすいです~~~
もともと日本は神道なのに
どうして仏教がこれまで定着したかが
この雑誌でよ~~く理解できます。
読者の皆さんにも
お勧めの1冊
私は特別な宗教は持っていませんが
きっとお墓は仏教でしょう。
だから、少しの知識は
必要だと感じています。
終活で自分のお墓をどのようなものにするか、
活動されていたクライアントさんも
いらっしゃいました。
今後もこのような情報を
入手していきたいと思いました。
さて神道と仏教が
見事にマッチした現代の日本。
このような日本を築いたのは
空海さまの
並々ならぬ才能のおかげ。
この雑誌で
本当にありがたいと
感じました~~

先日はスリランカにって来ましたが
インドから中国、
そして日本に渡って来た文化や芸術。
その歴史を垣間見て
今の時代がなんとありがたいのか
感激します。
さて空海さまは
遣唐使として中国に渡り、
曼荼羅という平面な世界を
仏像という3D世界に変革したのだと
この雑誌には記載されています。
この雑誌の表紙にも
仏像さまが
「仏像は密教を3D化したものです」と
お話しになっています。
おお~そう捉えると
面白い!!
平面を
立体の世界にした方が
分かりやすいですもの。
ああ・・・小さい頃に
そのような事を教えて欲しかった・・・
「十住心論」(じゅうじゅうしんろん)という
空海さまがまとめた書があります。
それは「私たちが本来持っている仏性がどのような流れを経て」至るのかを
示したものだそう。
この雑誌では
「表れるかを示した著作」と
記載されていますが、
私は
「至る」と表現してみました。
これは
1から10までの
10の段階に表されています。
「十住心論」の
「第一十住心」とは
食欲や性欲といった本能に支配された
最も低い次元
と書かれています。
ここから
「第二」の十住心にいくと
本能に支配されていた段階から
良心が芽生え、
人への施しに目覚めた倫理的段階。
と書かれています。
ほほ~~。
「一」と「二」の違いは
自分本位か
他者へ与えられる豊かさがあるかどうか
のようです。
「第三十住心」に参りましょう~。
来世がある事を知り宗教心に目覚め、
母親に抱かれた幼子のように
安らいでいる段階。
来世・・・
知ってはいたけれど
充分、安らいでない・・・
私はまだ第二段階のようです
では安らぐ事ができたなら
どのようになるのでしょうか?
「第四十住心」は
この世に実態としての個我は存在しないと自覚し、
無我の境地に達した段階。
だそうです。
なるほど、個というのもを超越し、
「我」が消滅すれば、
すなわちインナーチャイルドがワンダーチャイルドに
完全に変容したと表現すればでしょうか。
「無我の境地」に
達する
とされています。
無我の境地とは、
宮本武蔵のといた「空」にも
通じるものを感じます。
「我」が無ければ
超意識の無限のパワーが
充満します。
次の
「第五十住心」も
知りたくなった・・・
ではでは
「第五十住心」というものは
どのようなものでしょうか。
それは
この世は因縁より生じていることを自覚し、
とらわれを取り除いて
悟りの世界を得る段階
だそう・・・
はあ・・・・深い・・・
無我の境地に達し、
悟りを得る。
その悟りとは
この世は因縁より生じているものと
自覚する。
そして自覚するだけではなく、
それらの「とらわれ」を
取り除く。
これがチャイルド・ワークで言う
「浄化」「癒し」
という事でしょう。
これで十分な気もしますが、
まだ第五段階です
「十」まであるので、
まだ半分です
次の第六など
想像もつきません。
では、行ってみましょう。
「第六十住心」は
一切衆生(生きとし生けるものは全て仏という考え)に対して
絶対の慈悲が生じた段階
だそうです。
はい、あのブッタさまが
虫も殺さなかったのは
有名ですね。
僧侶が
修行で瞑想している最中、
蚊に刺されて自分の血を吸われても
吸われるがままにしていた・・・
そのような事を
何かで読んだ記憶が
よみがえります。
万物に絶対の慈悲が
生まれるという状態。
これが第六段階です。
素晴らしい〜。
でも・・・まだ第六です・・・
では
「第七十住心」に行ってみます。
「第七十住心」とは
あらゆる現象の実在を否定し、
全ては空だと徹底して悟った安楽の段階
だそうです。
「第四十住心」で無我の境地に達し
「無」という感覚でいたので
てっきり「空」でいたものと
思っていましたが、
ここで「空」のようです!
空の境地は
安楽の段階だと書かれています。
もうこれで達成でない!?と思う究極の段階ですが
十住心論は
まだまだ続きます
凄すぎ・・・
そして読者の皆さんもこれで
充分かと思うのですが、
知りたいと思うので
「第八十住心」もお伝えしますね。(笑)
「第八十住心」とは
この世の一切の現象はすべて清浄であると悟り、
唯一絶対の立場に立つ段階
だそうです。
すべて清浄。
この「清浄」という言葉は
浄化の機会と置き換えてみると
面白い解釈ができました。
この世にある出来事は
良いも悪いも無く、
浄化させるために在る。
これはインナーチャイルド・ヒーリングを通して
チャイルド・ワークとして
皆さんにお伝えしてきているもの
そのものです。
「第五十住心」で
「とらわれ」を取り除くとあり、
ここで「清浄」する。
つまり浄化には
六、七というプロセスを経る。
六が「慈悲」
七が「空」です。
だから清浄できる。
と考えると面白い~~。
この世の一切の現象はすべて清浄である
と言う先ほどの文。
浄化するものである。
という解釈ではなく、
この世は全て清らかなものである。というのが
日本語的には妥当かと思います。
この場合、
深い内容です。
そう捉えれれば、
唯一絶対の立場に立っていられるのですから!
唯一絶対の立場とは
神さまの立場ということでしょう。
そのような畏れ多い立場に
立つことなど
考えた事も
ありませんでしたが、
そのような段階を知るなんて・・・
でも!
まだまだあと二も残っています!
「第九十住心」に参りましょう。
「第九十住心」とは
この世は大日如来の悟りの世界であると
自覚する。
顕教における究極の段階。
いよいよ最後の
「第十住心」にいきましょう!!
密教の教えによって
宝蔵(心)の扉を開け放ち
真実の世界と一体となった段階。
だそうです。
ひゃあ~~と私のインナーチャイルド(笑)
十住心論の
圧巻な事と言ったら・・・・
九と十は分かりいくいのですが
次の説明文を読むと
理解できます。
大正大学名誉教授の福田教授の
コメントです。
「仏教には密教と顕教の2つがあるというのが
密教の考え。
密教では釈迦は大日如来の一部の表れとされている
密教が全ての根源である大日如来が自らの悟りの境地を
直接示した教えである一方、
顕教は釈迦が人々を導くため、
人々が理解しやすいよう説いた真理である。
そのため真実の全てを解き明かしているわけではないと
されている。」
だそうです
つまり私がこれまで仏教と思ってきたのは
ブッタさまの教えのことだったようです。
私のような凡人に
分かりやすいように説いてくれたもの。
でも更に先があったのですねぇ・・・
それが第十住心。
心の扉を開け放ち
真実と一体となった段階。
しかも心は
「宝蔵」です。
一体となった段階が
曼荼羅で表されていて、
しかもそれをより分かりやすく
表現されたものが
仏像だったみたいです!
今まで気軽に
拝見していたぁ~
さてこの雑誌では
まだまだ興味津々な記事が
ありました。
独特な文字「梵字」や
密教ならでは修行法の「護摩(ごま)」についてや、
それぞれの仏像の種類や
仏像が両手の指で表す様々な形は
「印」と言いますが、
その意味も細かく
解説されています。
仏像を見る際に
より理解できる情報が
満載でした。
実家のお墓は
多宝塔の形をしていましたが、
この構造の意味も判明。
この雑誌で
「空海さまをもっと感じたい!」と
思わずにはいられない思いでした。
有名な高野山には
まだ行ったことがありません。
空海の聖地、高野山に
是非行ってみたいと思いました。
その前に!
目の前の修行から!
第一段階の
食欲や性欲といった本能に支配された
最も低い次元
この自分と謙虚に向き合い、
本能に支配されないよう
日々、精進です!
そして
良心を持ち、他者の施しを継続し
とりあえず第三段階を
目指します~。
カウンセラーの皆さん!
共に励みましょう~~
