皆さん、こんにちわ。
吉村涼子です。
このブログは普段なかなかお会いできない生徒さんや
クライアントさん、
通信プログラムを受講して頂いている方に向けて
おおくりしております。

防犯防止やその他の事情により
書いた日と掲載が遅れています。
ご了承ください。

先日のブログに
美術に関するメッセージを受け取ったという事を
綴りましたが、
今日のこのブログを綴った後で
遭遇したものです。

防犯防止やその他の事情により
綴ったものが前後していまして
補足を今おおくりしております。

その発端が応為の絵です。
最近美しい絵画についての情報が
私に再三訪れるのです。

最初は気が付かなったのですが
重なる事で
あら?
と立ち止まって思うようになりました。

偶然が重なる事を
シンクロと言いますが、
そこには自分の人生への大きなメッセージが
隠れているのです。

発端は応為なのですが、
次々に現れる美術に対して
驚愕しています。
私は芸術の秋ならぬ
芸術の春を迎えています。

「先日、葛飾応為の特集を拝見しました。」

北斎の富士山は有名です。
お抹茶茶碗はこの絵柄のものを
持っています。

花柄やあでやかなモノを、
と思っていても
そう言えば抹茶茶碗も北斎。

和服用の風呂敷も
北斎。

私は北斎がお気に入りだったんだと
気が付きました。


その北斎が
「美人画は娘には敵わない」と
言わしめたのが
応為おういです。

この歳にして私は
北斎に娘さんがいた事を知りました。

その応為が描いた2枚の絵が感動的でした。

昼の情景を描いた北斎に対して
夜を描いた作風が
素晴らしかったです。
夜がこんなに美しかったなんて。

灯籠の光の柔らかさ。
それに照らされた女性の手の
色彩がそれを微妙に物語っています。

夜空にまたたく星たちは
一つ一つの輝きが
繊細に違い輝いていました。
白い星もあれば
明るく赤く輝く星もあり、
青白く光る星々もあります。

闇の静寂さと
闇だから繊細に映る色彩。

本当に深淵でした。

この繊細さは
女性ならではという感じがしました。

また技法もこだわっていて
そうした質は
男性的でもありました。

北斎が亡くなるまで
その活動を支え、その後の消息は不明だそうです。

「筆一本あれば生きてける」と
言っていたとか。

すごいですね。
これぞ「手に職を持つ」でしょうか。

男性は太陽を表し
陽の質を表し、
女性は月を表し
陰の要素をつかさどります。

彼女の
自分の陰の性質を
極上まで描きあげた夜の陰の世界は
暗いものではなく
温かさがありました。

女性の陰の質は
ドロドロとした執念深いものではなく、
子宮の中の羊水のような
温かで
静寂で
全てを包み込み育むものです。

2枚の絵には
そのような温かみが
暗いモチーフの中に
本当に繊細に描かれていますから
じっと目を凝らして見なければ
ほのかな光の存在に
気が付けません。

まばゆく光輝く太陽の質と違う
陰の世界での
光です。

影の存在が
光の存在を
なお一層際立たせるワザは
女性が男性を輝かせるのに
似ていました。

応為は北斎の活動を支え、
北斎という太陽の存在が消えた後、
自らで光り輝こうとはしませんでした。

彼女の生き方も
目立とうとせず
陰の世界そのもののような気がします。

夜がこんなに光に満ちていたなんて・・・・

彼女の2枚の絵はツイッターに
リツイートしておきましたので
私のツイッターでも
ご覧になれます。(4月24日の投稿です)
こちらからも。

応為のおかげで夜の美しさを知った私は
今度の修学旅行での
ペルセウス流星群観察が
楽しみになりました。