吉村 涼子への

E26さん3通目のお便りありがとうございました。

また事件簿のまとめもお送りいただきました。
そのページの最後に、吉村涼子への回答が載せられていましたので
掲載いたします。
事件簿はプライバシーの観点から、掲載を控えておきました。
掲載をご希望の場合はお伝え下さいませ。


吉村 涼子からのお返事は2週間後を予定しております。

どうぞお楽しみに。


吉村カウンセリング事務局






E26さんよりお便り(レポート)


B08さんのレポートのお返事を読んで
「感じることを遠ざけていたなと気づきました。感情を見ないで楽しむことも遠ざけていました」

私も、感じることを遠ざけていました。
感じるのをやめて、すぐ分析してしまうし、肝心な問題に向き合うことを避けるために、
感情を凍結しました。
自分のレポートを読み返して、他の人のレポートと読み比べると、
先生のお返事にあった通り「戦い」の雰囲気が見え隠れします。

私は表面が自分では見えませんが、わかりやすくストレートにイライラが出るタイプではありません。
怒っているのか嬉しいのかも外からはよくわからないタイプだと思います。
私は「怒り」を表現されることにすごく怯えます。し、それだけで相手を嫌いになります。
なので私はそれを感じても、その感情を殺します。
「喜び」を自分が表現することにも怯えます。
楽しいと感じることをしていると、父親が怒鳴っていたのを思い出すからです。
それに、快楽と楽しむの差を、私はまだ混同しています。
自分が楽しんだ遊びは、苦しみを見えなくするための「快楽」でした。
将来、それでお金を作れるかもしれないためにインターネットを使うことは例えば、
快楽なのか娯楽なのか。「楽しむ」に関わりそうなこと全般が、
私にとっては、やったら後から責められる恐怖を伴う罪悪感がずっとついてまつわります。
だから、私の中でずれてくるとチャイルドワークは、変な「修行」になっているし
、いかに堪えきれるかの「サバイバル」とすり替えられて、
やりたくないものにすり替わっているのではないかと思いました。
「サバイバル」は全く私の半生そのものです。
「自分なりのチャイルドワーク」=「修行」「我慢」「サバイバル」でした。
だから「戦い」なるんでないかなと思いました。

「締め切りまでに間に合わない」「やらなきゃやらなきゃきっと期限までに間に合わない」という不安からの解放。

B08さんが仕事について語っている内容は、
私がチャイルドワークに対して持っている強迫観念に似ていると気付きました。
スタートも遅れ、長い間反発し、大幅に遅れをとっています。
私にチャイルドワークが必要だと思ったのは、ごく最近です。
怪しい宗教と違うことを納得させること、と戦うことばかりに必死で、
先生の積み上げてきたことの大きさにに気づいて私もやっていきたいと思った時には、
他の人と大きい差ができていました。

私は、学童期の役割は「お世話役」の「優等生」でした。
福祉の仕事、塾の講師を仕事にしようとしたことは、その役割が反映されています。
今は「劣等生」の「困ったさん」です。

右もあれば左もあるので、「欠点を取り除く」のが正解でないことを先生が教えてくれました。
劣等生の困ったさんの私とお付き合いするのはとても苦痛と感じて弾きました。

 別れた不倫相手Tさんとのやり取りをしたことを、最初なんで悪いのかわからない自分がいました。
そしてメールから
「罪を犯した、失敗をしたあなたを私は軽蔑します。許しません。もう二度と私に会いに来ないでください。裏切り者。」くらいのメッセージを勝手に受け取り、固まりました。

先生は「やりとりをみました。このままでは愛の柱の授業ができません」と書かれました。
それ以上は書いていません。ごく当たり前のことを普通にかいてくれてます。

だから「死ね」とか「価値がない」とかいってないのに。失敗したから死んだ方がいいくらいに気持ちになり、
混乱しました。

失敗に対して、私はとらえ方が大袈裟です。この間の「クビ」事件もそう。
失敗は取り返しがつかない、死を持って購うべきだくらいの気持ちです。
でも死にたくないと怯える。

それを思い出そうとすると学生の時のG先生の顔が浮かびます。
エピソードは浮かびません。
それは無意味だし、次の失敗の防御策にすらなりません。
恐れているのでさらに失敗を呼ぶことになります。
繰り返さないために、私に今できることは、まずは感じること、自分の声を自分で聞くことくらいです。

自力で癒す方法は、戦いのワークをしているうちは自分でできないからです。
ないからのスタートはないです。
エネルギーを大切に。「気をとられる」こともエネルギーの消費だと教えてくれました。
何の解決もしていないのに、自己完結してもう大丈夫だと思うことが愚かなのは、
もっとわかりやすく薬物やアルコール、犯罪の問題のある人たちと生活を共にしてきたので、わかります。
これがスリップなんだとようやく、わかりやすくわかりました。

もうしないと決意をしているなら、返事を返しません。
誕生日メッセージを見て、去年までの人間づきあいを懐かしく思ってしまいました。
その中にTさんもいて一人だけ返さないのもね、と思ったのを機に、
今がどういう状況なのか、私は何に向かっているのかを忘れました。

私は「長く続く幸せなパートナーシップ」のために、
しかもありえないことに「来年出会って、再来年結婚する」
という明確なプランまで示してもらいながら、一日の猶予もなく、
東京から飛行機に乗り授業を受けに行く、
現状を一瞬で忘れ、裏切ることをしました。

このままだと、私は結婚生活の中でも相手を裏切ります。
裏切るということは、裏切られます。ごめんなさい。
先生は自分の時間と魂を削って、悪いものを断ち切ってくれているのに、
こうやって、悪いことの種を植えることに対して怒り、叱ってくれたのだと思いました。


「自分を救えるのは自分しかいない」ことを教えてくれました。
これは、自分を汚染する行為でした。
私は惨めな恋愛をしてきました。

奥さんとの関係の自信のなさをわたしが聞き役になり慰め役になることで満たし、
奥さんとの関係を維持させるためだけにない自分を差し出しただけだと最初から気づいていたのに、
やめることができなかったのです。

そしてこれは、離婚の問題が持ち上がった時、
私がどうにかして止めなくちゃと親の話の聞き役に徹した過去の再生でした。
いい子にするから別れないで。と必死だったと思います。

彼に感情を伝えたら、別れようになりました。
別れられて大変良かったことなのに、
感情を伝えたから嫌われた(あの伝え方では私ならげんなりしてわかれます)…と
未解決なものがいまだにくすぶっていたのに、

「いや。彼はもう友達ですから」と一切に蓋をした状態だったと思いました。
まともな恋愛をうまくできない自分を全力で否定していたことに気づきました。

一番開けたくない蓋のように感じていますが、
不倫のことそろそろ許したら?と言っていただいているのですが、
どんなふうに許したらいいのかもやもやしています。
まず書いて、感情を出し自分で自分の声を聴く以外に方法がないように思います。
だから、思い出せる順に思い出します。

先生は「のびのびやりましょう」とお返事してくれました。
私は、あれもこれもありすぎて、
まるで大学の期末レポートを書かなければいけない時の強迫観念に似た気持ちで挑んでいました。

感情を「殺す」、チャイルドワークに「挑む」。
やっぱり戦っているんだなと、先生のお返事を見て思いました。
そして、「評価」に「怯える」。

先生がお話しされているチャイルドワークと、てんでイメージがずれているのです。
それでは結果が出るわけがないです。

わかりやすい結果が出せないから「できない」「やりたくない」。
しかも出ている結果は「無視」です。
荒れてきたら「ほらまた肌が荒れた。」と責めます。
そんなことをしていてどうやって幸せになるのでしょうか。

何に苦しいのか、もっと正確に見つめる必要がありますね。「期限にできるか」が不安で、
仕事量が多いのか、自分の手際が悪いのか、わかっているようで、わかっていないのでは?
と感じさせるレポートです。

期限までにできるか、不安です。
現状を見れば見るほど、結婚なんて遠いまた夢です。
不幸な結婚を作ってしまう自分は容易に想像できます。

私が素晴らしい結婚を作っているところは、上手に想像できません。
まだ私の部屋も中身もゴミ屋敷だからです。

仕事に関して言うなら「事務員」がそもそも嫌。
下請けでなくて自分で創る仕事をしたいが本音です。
だから個人経営している人とばかり仲良くなろうとする。
でも経験上それでは年間で4万とか吉本の芸人レベル。仕事にならなかった。
から経済的にこれ以上不安定になるのは、怖い。
今の水準はミニマムでそれ以下は嫌だ。だからできないになりました。

どうして前の恋愛に固執してしまうのか。
固執しているうちは、前に進めません。進んでも繰り返します。

良い(楽しい)
○恋愛そのものができないと思っていたけど自分を女だと思っている人がいるとわかったこと
○セックス=殺されるではないことが分かったこと 
○人肌に触れると安心感があること
○男の人と過ごす自分が想像できるようになったこと 
○異性が得体のしれない宇宙人だと思わなくなったこと
○会話が本当に楽しかったこと

悪い(嫌だった)
●自分を大事にしない、安全でない望まないセックスをしたこと
(生理の日にムリと断っても要求されたら答えてしまった)
●嫌だと思うのに貢いだこと●人に言えないような恋愛を選んだので、苦痛だったこと
●相手にすべて責任を押し付けたこと
●この恋愛(不倫)をすることが周りの人間関係も悪くすること
●強烈な嫉妬を感じたこと


確かにという言葉
「今まで意識していなかったけれど、そう言われてみれば」
「そんな考えもある。あなたの言うことは一理あるけど、私はそうは思わない」
「おっしゃるとおりですが、私はそれを認めない」
というニュアンスで使っていると思います。yes.but。

気づきの時も使うと思うんですけど、それは正しい。私はそれに従いたくない。という否定や否認の時に多く使っています。

確かに宗教で救われたのは事実だ。でも、根本的問題は何も解決していない。
確かに授業の静かにしないといけない場面でそうなるのは恥ずかしかった。
でも母の過敏反応はもっと嫌だった。
確かに私も悪い、でも上司にだって原因がある。

「確か」にがついているところは、私がいまだに「恥」だと思っているところです。
宗教、病気、失敗。「だって仕方がないじゃないか。それしか表現方法がなかったんだ。」
「どうしてそんな道を選んだんだ。」と自分を責めている。

許していないところには、無意識に「確かに」がついています。