子孫へのラブレター㉝(続 北新地) | バァバのブログ

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北新地でのエピソード

もう少し書かせて頂きます。


北新地の1流クラブというのに、

私は博多弁丸出しでした。

だいたいのホステスは標準語か大阪弁。

ある日、お店の社長に別のお店で接待があるから来るように。と呼び出された時のことです。


呼ばれた時は必ず社長の側に行きます。

周りを見ないまま(いらっしゃいませ)と頭を下げて社長の前に座り頭を上げた瞬間

(え〜千昌夫〜)と田舎っぺ丸出しの大声をだしてしまいました。とっさに

(母がファンなんです)と言ったのも束の間

(お母さんが?)(ハイ)(笑)

接待している社長も苦笑い。

シマッタ〜(私がファンです)と嘘でも言わなければいけなかった雰囲気。

その場を繕うために何を語ったのかは忘れたのですが、多分博多弁丸出し。

(君はどこ出身?)(ハイ。九州福岡の筑豊という炭鉱町です)その時代自分の田舎すら隠す人が多かった大阪北新地。ましてや炭鉱町なんて、恥ずかしいといわれてたのに、私は平気でした。

(気に入った。生まれ故郷の言葉を大切にしてるんだね。僕と同じだ)なんて言われたのは、

笑い話のように思い出します。

言葉を大切にするとか

何も考えてなかったからです。

(よし、君のために1曲歌おう〜何がいい?)と聞かれ、とっさに出たのが『星影のワルツ』

コンサートが終わって疲れてたので、

社長や他のホステスが、どんなに1曲歌ってほしいとお願いしても断っていたそうです。


それなのに、田舎っぺの私が来た途端、自分から歌ったのは皆んなビックリしていました。


当時の私は芸能人でも、どんなに1流企業の社長でも、偉い学者さんや先生と名のつく人も、

同じ人間なんだと

物怖じしなかったのかもしれません。


芸能人は色々お会いしました。

その中でも、「田村正和」さんは

テレビの中のまま。素敵な方でした。


私は芸能人よりも、学者さんとお話しするのが大好きでした。何でも興味津々だったのです。

中でも〇〇大学の名誉教授で[海洋地質学者、地震学者、理学博士]との会話は面白くて忘れられません。


私がこの社交場で学んだ事は、中途半端じゃなく

本物のトップクラスの方達は、

頭が低い。

気配りが素晴らしい。

誰に対しても同じ接し方をされます。

たとえホステスでも丁寧に接してくれます。


人を大切にする姿は

素晴らしいものがありました。


                  続く


今日も最後まで読んで下さり

ありがとうございました。