子孫へのラブレター㉛(大阪へ) | バァバのブログ

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生後1ヶ月の赤ちゃんと、小学校1年生の子どもの手をひいて大阪へ向かいました。

彼と合流して初の子供とのご対面。

行き先は大阪天王寺です。


当時の天王寺というところは、まだ浮浪者が多く

あちらこちらに寝てる人やゴミを漁っている人達

田舎者の私には怖い光景でした。


新たに家族4人の生活が始まったのは大阪天王寺

大都会の中の6畳と3畳のボロマンション。

自然は全く無く、

コンクリートに囲まれた場所でした。 

彼は直ぐに仕事が見つかり、これで家族4人

細々でも幸せな生活を送れると安心しました。


そんな矢先、またもや妊娠。

今度こそ社会保険もあるし安心して産めると喜んでいたのも束の間。

妊娠6ヶ月になった頃、突然仕事を辞めて帰って来ました。

え〜〜〜なんで〜〜〜


ずっと経営者として生きてきた彼はサラリーマンには合わず、仕事も覚えたから独立してお金を稼ぐのだと、運転資金も全くないまま辞めてしまったのです。

またまた収入0

私は2人の子供と妊娠6ヶ月。

途方に暮れながらも何とかしなければ〜

緊急援護資金を借りに行ったり、出産費用を確保するために、市役所に相談に行ったり、また妊娠してても何か働ける仕事はないかと試行錯誤。


当時を思い出したら、笑ってしまうのですが

クリーニングの配達をしようと思い、中古で買った新聞屋さんが利用するような大きな黒い自転車に荷台をを設置して配達を始めるのです。

恥も外聞もありません。

振り返ると、妊婦が続けられる仕事では無いのに

何を考えたのでしょうか?


子供を育てるため、ご飯を食べさせるため必死だったのです。彼はまだまともな収入も無いのに

飲みに行き、遅く帰るのが多くなりました。

言い訳は(仕事をもらうための接待だ)との事。


イライラする事も多々あったのですが、とにかく現実を受け止めるしかありませんでした。


そうしてるうちに無事3男誕生。


大阪に越してきて直ぐに隣に住んでいた私と同じ歳で長男の同級生のお母さんと知りあいました。

彼女は沖縄出身で子供2人のシングルマザー。

意気投合して家族と同じような付き合いになりました。後に私達女同士で大きく助け合いながら生きていくようになるのです。


実家から遠く離れた大都会、

大阪まで来て何してるのだろう?

生きていくのが必死で何も考える暇などなく前向きに行動していたのだと思います。


                 続く


今日も最後まで読んで下さり

ありがとうございました。






当時の天王寺公園の風景。

多分こんな光景だったと思います。