私は自分が肺癌である事を、友人や仕事上の知人には敢えて隠す事はしない出来ました。人は自分が思っているより、自分に対し興味は有りません。言葉では「どう、大丈夫?」としばしば問われても、それは挨拶程度に過ぎません。人は他人の事を心配するより、自分の事で精いっぱいなのでは無いでしょうか。

 

でも私は時々人に対し関心を持つ事が有ります。昨日会った中三の男子生徒はとても興味深い生徒でした。礼儀正しく、頭も良い。でも進学先や将来の事、好きな事や嫌な事等を聴くと、明確な対応の中に深い違和感がぬぐえなかったのです。そんな時、私は絵をかいてもらいます。私の指示に従い、景色を頭に浮かべてもらい、それを描いてもらいます。臨床心理の世界では「人の心は、描かれた絵から知りうることは無い」と言うのが現代の常識です。でも私にはどうしてもこの絵画による心の見立てを捨てる事が出来ないのです。

 

彼に窓から見える想像上の景色を書いてもらいます。山、川、橋、実のなった木、学校、家、自分、家族等々。彼の描く景色は不思議でした。全てがボヤっとしていて、全てに具体性が有りません。絵の中心に家が有り父親がいます。家族は左端に固まっています。木が一本右下に描かれ、リンゴと桃の実が木の下に落ちています。上部は大きさの同じ、丸い山に囲まれています。右上に一番大きく学校が描かれていて、自分はそこにいます。細い一本の線で描かれた川が5本、並行して描かれています。川は細いね、5本流れているの?そう聞くと彼は、心に浮かぶ川はこうなのですと答えます。こお絵から彼の心は分からなくても、直ぐに察します。

 

後で母親に聞くと、父親のDVで2年前に離婚し、この街に引っ越してきた事。家族は母親、兄弟、自分の4人。でも彼の絵に居座る父親の姿は小さく、さほどDVは大きな痛みでは無いかも知れません。右下の小さな松の木と、そこから落ちた二つの実。彼にとっては離婚の方がショックは大きかったのかも知れません。そんな事より気になるのは、学校が異常に大きく描かれ、彼だけがそこにいる事です。彼の志望校は地元では有りません。早く家族やこの街を離れたいのかどうか分かりませんが、一つだけ気になるのは自分の大きさです。クラブ活動のリーダーとして自分と学校が大きく描かれているのか、父親同様、自分が何をしても一番偉い世界の願望が有るのか、それは分かりません。全て私の偏見かも知れません。これから彼を指導するのは長くて4か月ですが、もし彼の方向が後者に向かう行動が有れば、大人として「何か」を彼に伝えたいと思います。あくまで根拠の無い非科学的絵画判定ですが、不思議な絵を描く子供には注意したいのです。