次女から孫娘の通う小学校の学校開放日(祖父母向け)のお知らせを受け取りました。5限目だけ4日間の内から選択ですが、私達は図工の授業を拝見する事にしました。子供が何か作ったり、歌ったりするのは勉強している姿を見るより遥かに面白いと思ったからです。

 

私は小学校から地方の進学高、妻も幼い頃から才女だったので、二人が「ボーダーラインの子供達の存在」「勉強が不出来は子供の価値を変えない」事を初めて知ったのはボランティア活動からです。娘達の時は最関心事でしたが、孫娘の勉強の不出来には余り興味が無くなりました。好きな事に打ち込んでくれる姿の方が見ていて嬉しいと感じます。

 

私の病院では同じ病気の患者さんとお会いする事は有りません(皆癌病院に行っちゃいますから)。このブログが唯一同じ病気の方々と交流できる場所です。同じ様にこれまで抱いていた肺癌の安易な考えは吹き飛び、生きて行く事の大切さを知りました。病気にならなければ分からなかったでしょう。生きているだけで凄い、その上仕事しているなんて信じられない、こんなキツイ治療を続ける事が出来るなんて、仲間のブログから色々考えさせられます。

 

夜、中国から帰化した高1の男子生徒に聞きます。お母さんは何処、お父さんは何処?「二人とも中国」。何時日本に帰って来る?「分からない」。お金はどうしている、何時も同じ服着ているよね?「時々お母さんが帰ってきてお金置いて行く、お金沢山無い」。食事とか家事とかは?「自分でやる」。大変じゃない?「もう慣れた、中二からずっと自分で生きている」。そうか、勉強どころじゃ無いな、3年程遅れているのも仕方ないか。もっと重要な事は、精神的なえなる事かな、そう思いました。最近眠るの出来ない、彼がそう呟いた時、私はこっちの方が大切だと感じ、今度その事を話す事にしました。勉強より大事だもの。そう、大切な事は勉強を教える事じゃ無いのです。