XXさん、△△さんに捧げます。

実は先日、20年程左薬指に付けていた指輪を無くしてしまいました。最近はタイガーアイの大きい指輪を左薬指にしていたので、ずっと外していました。失くした指輪はマレーシアで買ったパチ物の金の指輪です。パチ物とは言え、アルミ素材の上に200μm程の金が厚くコーティングがされていて、20年経った今でもエッジもしっかり金は生きていました。少し無理して隣の小指に入れてみたのですが、ショッピングモールのトイレで手を洗った時にポロリと抜け落ちた様です。緩めだったようです。直ぐに気が付き取りに戻りましたが無くなっていました。インフォメーションセンターで紛失届を出しましたが勿論出て来ません。18金リングにそっくりだからです。当時100ドルで買ったと記憶しています。

 

失くしたのは指輪と言うより、それに付随する記憶でしょうか。数多くの国や場所で共に苦労した指輪には、多くの記憶が刻み込まれています。じっと机の上に飾っておけばよかったと後悔しますが、もう終わってしまいました。夜、ブログを書いている時や音楽を聴いている時、ふと昔の事を思い出す事が有ります。ジョギングする時も寝る時も指輪は外さなかったので、静かな音楽が流れたり、しんと静まり返る夜は、モスクワ川を走っていた時の事や、上海の喧騒の中を走っていた事や、汗だくで赤道近くの研究所建設に関わっていた時の事が目の前に浮かんできます。そんな指輪を無くしてしまいました。

 

失くして思う事は、この20年色々な事が有ったな、家族とも楽しき時も相容れない時有ったなと言う事です。指輪を失くした事はとても残念ですが、眼を閉じればやはり当時の事は思い出します。思い出は物に付随する物ではなく、自分の心のポケットに何時までも残る物なのですね。そうなんです、全ての記憶は永遠に心に残っているのです。思い出そうとする限り。