1人で生活している高齢の母の所に明後日から行くと連絡しました。妻は来月FCP1級の試験が有るので余り気乗りはしない様です。なるべく早く行って帰り、妻の勉強の邪魔にならないようにしたいと思います。私も絶縁していたバングラの男の子の面倒を見る事になり、加えて隣町に避難しているウクライナ人に日本語を教える手伝いをする予定です。これは社会協議会から直接頼まれました。「でも、日本語を教えているグループはロシア語をしゃべる私を歓迎していませんよ」と、やんわり断ったのですが、どうやら通じる言葉が全く無い為、日本語が上達せず、職場を首になりそうだと聞きました。20歳以上のウクライナ人はロシア語で教育を受けていたので、皆ロシア語を話します。でも誰もそんな事知らないし、以前私に言われたのは「ウクライナ人の指導にはGoogle翻訳が有るから十分」でした。気が載らないので、とりあえず明日様子を見に行く事にしました。その後バングラのお母さんと発達障害の意味と、何をせねばならないかを説明せねばなりません。で、明後日は800km運転して四国の「訳の分からない事ばかりを言う」母親の所です。

 

90歳を超えれば何時どうなるか分かりません。妻が同居は出来ないと言うのは理解出来ます。妻の気が狂ってしまうでしょう。今後どうすべきか母と話さねばなりません。私も癌を抱えどうなるか分からないので、その事も打ち合わせねばなりません。人は60歳を超えると、当然親も相当な年になります。特に離れて暮らしていると、「どうする、どうする?」の疑問詞に追いかけられます。ウクライナ人サポートの事も同じですが、頭に来ることはあっても、何をせねばならないか、冷静に考えねばならないのでしょうね。

 

バングラの男の子は約束の時間に1時間以上遅刻したのが10回になり、最近は1時間遅れに加え、勉強道具を一切持たずにスケボーだけを担いで来る事が多いので「もう止めよう」と私が身を引きました。でもやっぱり見捨てられないのです。先週の夜、「お兄ちゃんの事、だれも何もしてくれないの」と、小三の妹に言われたからです。