同じ病気に陥った元上司の大先輩に会いました。ちょうど放射線治療とカルボ+パクリの1クールを終えたばかりで調子が悪そうでしたが、駅前の和食屋で2時間程話をしました。自分はもうすぐ80歳だから、何も考えずに担当医師に任せるだけと言います。来週から1剤追加になるけど何か知らないと言います。テセントリクですよ、きっと。それもキツイのかなあ。すいません、分かりません、私は受けた事が無いので。私は頼りない肺癌の先輩です。

 

ロシアの話になります。先輩がスパイ容疑で国外追放になった後、30年もかけて私が会社設立したのですが、昨年戦争で潰してしまいました。申し訳ないと先輩に謝ります。これからどうなるのだろうね、もうロシアと関係のない二人が話し合いますが、世界は動きません。君から引き継いだシンガポールの会社だけど、危ない事は知っているかと聞かれます。いや、初めて聞きました、何故?私も苦労して立ち上げ、先輩がもっと苦労して育て上げた会社ですから心配になります。会社を離れた後の二年間で色々会社には変化が有った様ですが、二人が幾ら心配しても、何かが変わる事は有りません。

 

俺はもう歳だから、これ以上抗癌治療がきつくなると止める選択もあるよと言います。遺伝子変異チェックはしたのですかと聞きますが、気管支検査はしたけど結果は聞いていない様です。変異が見つかれば良い薬も有りますし、是非医師に聞いてみたらどうでしょう。ああ、そうしてみよう、有難う。そう言いながら、もう充分生きたけどねと呟きます。私にとってみれば、遺伝子変異は喉から手が出るほど欲しい物ですから、是非確認してください。そう言い残し私達は駅で別れました。

 

肺癌患者が二人あれこれ言っても、世界は変わらないし運命も変わりません。でも、同じ過去と病気を持つ者達が色々話してみると、現実は何も変わらないのですが、二人の心は少しの間だけ20年前に戻りました。