今日は結婚記念日でした。近所のいつも行くイタリアレストランがお休みの為、電車に乗ってトコトコ別の街まで行って来ました。こういうお店では殆ど食事を取らないのですが、記念日の食事は良い物ですね。肺癌になってから迎える3回目の結婚記念日です。私は全てをあの日に一度リセットしました。継続する人生から、その日だけの人生への転換です。妻にとってみれば、それはそれは長い間の積み重ねでしょうが、私にとっては違うのです。今日の次に明日が有り、今日はそれが結婚記念日だったに過ぎません。只、それがどうであれ、妻への気持ちも感謝も変わりません。

 

妻が次女の生まれた時の名前について思い出を語ります。私は長女がチェコで生まれた時に付けたチェコ語にもある、それでいて日本語では少し変わった名前について語ります。娘達はどちらも気に入らなかった名前です。それでいて、私が二人に与えた最も重要な事の一つには変わりが有りません。私の本名も古臭い物で、妻は私の幼い頃にいじめに合わなかったか聞いてきました。特に無いけど、と言うと、どうやら同じ様な名前の子が妻のクラスに居て、名前のせいでいじめに会っていたようです。それでいて妻は自分の名前が平凡だと悔やんでいます。命名は難しいですね。

 

親が与えた最も重要な名前に文句は有りません。私の名前を付けたのはどうしようもない父親でしたが、そんな父親から貰った一番大切な事は名前と、人はどうやって死んで行くかを見せて貰った事です。生まれた時にもらった物と父が死ぬときに貰った物です。

久しぶりに二人でボトル一本のワインを空け、好い具合食事を取り、再び満員電車に乗り帰路に向かいます。月曜なので未だ生気に満ちた勤労者の皆さんが、駅に着く度に吐き出され、そして新たな帰宅者を吸い込んで電車は進んでいきます。気が付くと、私が一年前まで通っていた駅に着きました。私は目をそらし、知った人と会わない様にします。