【続】教会は何故「ウソ」をつくようになったのか? | yosia621のブログ

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前回記事で

「ウソ」を正当化させるために用いられたが

「リベカの母子協助」→長子の祝福をヤコブに与えるための知恵を嘘もOKと解釈。

「タマルが娼婦と偽りユダと関係を持った」→神の血統を残すための命がけの行いを嘘もOKと解釈。

この解釈と用い方を間違えました。

復帰歴史という史観と福音を用い「ウソ」を正当化してしまった。

 

この解釈が間違いだったと書きました。

さらに深堀したみます。

 

第四節 世界大戦 (二)第一次世界大戦   (2)天の側とサタンの側との区別は何によって決定されるか
『モーセがエジプト人を殺したという事実は、神の摂理を知らない人はだれでも悪だと言うであろう。しかし、復帰摂理の立場で見ればそれは善であった。そればかりでなく、イスラエル民族が何の理由もなくカナンの地へ侵入して数多くの異邦人を全滅させたという事実も、神の摂理を知らない立場から見れば悪であるといわざるを得ない。しかし、これもやはり、復帰摂理の立場から見れば善であったのである。』

 

と記述されています。

同じ論理で展開するなら「殺人やジェノサイドも…」となるはずですが、流石に無いでしょう。

このように極端な例をあげれば理解してもらえると思います。

 

摂理的な特別重要人物が何故そうしたのかという説明であって、摂理的特別な重要人物の行動を模倣する為のものではないという事が理解してもらえると思います。

あの時の特別な使命をもった人物の行動に対する説明であって、現在に生きる私の行動を正当化する為のものではないという事です。

 

「リベカの母子協助」「タマルが娼婦と偽りユダと関係を持った」

これは「嘘」ではなく「知恵」なのだ。

という説明を受け当時も違和感はありましたが、明確に否定するだけの根拠は持っていませんでした。

 

当時の私を含め、御言をかじった程度の思想的弱者、御言の思想武装が出来ていないから押し切られた。と思います。

「見て良くとって食べるに好ましい」と思わされたのです。

 

霊現象なども、私を含め霊的弱者の凡人は、悪霊現象なのか?善霊現象なのか?

その時点で見分けるのは難しく、時間が経つに従い、不安や病気になったなら悪霊現象であり、安心や健康なら善霊現象なのだと原理講論ある通りだと思います。

霊的強者になる術は分りませんが、思想的強者になるには勉強すればいいという術は知ってます。

 

講義は講師から聞き、文師の御言は日本幹部から地区の幹部へ、そして信徒へという流れです。

そこには講義した講師の価値観が入るし、御言は直接聞いた日本幹部の解釈や価値観を入れて伝えるし、聞いた地区の幹部の解釈や価値観が更に加わるので、それは「御言」とは言えないものになります。

という時代でした。

 

今は時代の恩恵として世界に張巡らされたインターネットがあります。

調べれば様々な事実がわまります

直接の御言にたどり着くとこもできます。

 

インターネットは時空を超えて、色々な方と直接交流が出来ます。

様々な人が色々な解釈や説明をしているので参考になります。

公式サイトの説明や解釈もその一つです。

歴史観、韓国併合や従軍慰安婦などもそうです。

文化共産主義、フェミニズム、ジェンダフリーからのフェミニズム神学、独生女神学。

 

話を戻します。

思想的弱者だったから、「やられた」のだから、今度は勉強し「やられない」ようにする。

何かを聞いた時に大切なのが「違和感」という感覚。

なにか「おかしい」と感じた自分は大切です。

そして、妥協せずにとことん納得するまで調べて考える。

 

「摂理にためのに嘘をついてもいい」と言われた時に、対抗する知識があったなら「それは違う」と拒絶でき(たらればはないけど)、このような結果にはなっていなかった。と思います。

 

歴史も1人の人によってなされるのでないし、そこには名も知らぬ大勢の人々が関係していまます。

という事を考えれば、教会がこのようになった。

その結果の責任の一端は名もなき私にもあると思います。

もちろん、責任の大きさがあるとすれば、幹部になればなるほど大きさ、重さはあると思います。

 

気づいた人が思想武装し、間違いを間違いと叫ぶ、大切さがあります。

 


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