橘玲公式ブログ
イエスは実在したが、キリスト(救世主)は創作された – 橘玲 公式BLOG (tachibana-akira.com)
から引用します。
--------(引用開始)-------
熱心なクリスチャンとなった彼は大学で宗教史を専攻したが、その頃から聖書の記述と歴史的事実の矛盾に気づくようになった。その後、20年にわたってイエスの実像に迫る研究をつづけたアスランがその成果をまとめたのが『イエス・キリストは実在したのか?』(白須英子訳、文藝春秋)だ。
(中略)
新約聖書では、聖母マリアが処女のままイエスを懐妊したことになっている。こんなことは現実にはあり得ないから、これをどう解釈するかで古来、侃々諤々の議論が行なわれてきた。
私が知るなかでもっとも大胆な説はイギリスの進化心理学者ニコラス・ハンフリーによるもので、マリアはヨセフと結婚したときすでに別の男性と性的関係があり、妊娠していたというものだ。当時はこのようなふしだらはとうてい許されないから、マリアは夫に対し、「自分は処女のまま懐妊したのだ」と言い張るしかなかった。イエスはものごころついたときから「神から授かった子ども」と母親にいわれつづけ、自分が特別な存在だと思うようになった……(『喪失と獲得』垂水雄二訳、紀伊國屋書店)。
だがこの魅力的な(というか不謹慎な)解釈は歴史的事実とは異なるようだ。本書によれば、生前のイエスに対して彼が処女から生まれたと考えるひとはいなかった。その理由は単純で、イエスには複数のきょうだいがいたからだ。
イエスに「義人ヤコブ」と呼ばれる弟がいたことは文献的に明らかで、それ以外にヨセフ、シモン、ユダという兄弟と、福音書では触れられているが名前も数もわからない姉妹がいたらしい。兄が磔刑に処せられたあと、ヤコブが使徒とともにエルサレムでイエスの教団を継いだことも間違いない。
-----(引用終わり)-----
『本書によれば、生前のイエスに対して彼が処女から生まれたと考えるひとはいなかった。その理由は単純で、イエスには複数のきょうだいがいたからだ。』とある。
(文師も確か「マリアの相手はザカリア」と処女で生まれたことを否定していたと記憶しています。)
イエス様に複数の兄弟がいたことは文献的ににも明らかのようです。
韓総裁はイエス様を無原罪の初臨の独り子であるとし、ご自身も無原罪の初臨の独り娘であるとしています。
そして、無原罪と原罪を分ける、その根拠は「兄弟姉妹がいる、いない」と言うのが韓総裁のメッセージであることは御存じのことと思います。
韓総裁の論でいえば、兄弟のいるイエス様は原罪があることになり、原罪があるイエスは独り子とはなり得ない。となります。
いやいや、胎中聖別の条件があるからと反論される方もいるかもしれませんが、それは統一原理、文師の解かれた天の秘密であって韓総裁は統一原理を否定し「文師のみ言葉の95%は嘘だ」てるのでそれは成り立ちません。
しかも「胎中聖別」によって「無原罪の独り子」とするなら、韓総裁の言う「無原罪の独り娘」も復帰歴史の過程で、「無原罪の独り娘」を地上に誕生せしめる為の「胎中聖別」がなければならないはずです。
興味深いコメントがありました。
以前の記事「韓総裁は「再臨の洗礼ヨハネの妹」である⁉』
に「moon-2113」さんから下記のようなコメントがありました。
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『お父様に兄弟がいたから、お父様には原罪があった、それなら、韓総裁にも腹違いの兄弟がいました。お父様がかつて、黄ソンジョ会長にシカゴにいるから探させて見つかっています。』
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・・・となると韓総裁の「無原罪の独り娘」であることも怪しいことになります。
『私は一人娘として生まれたが、お父様には数名の兄弟がいた。お父様が原罪なく生まれたのではない。』(2016/12/25:韓総裁メッセージ)
たしか独生女論を支持する金明大氏は
『お父様のみ言葉は95%が真のみ言葉ではありません。
お父様の原罪問題も重要な話です。
お母様のみ言葉の話も聞いたでしょう。
「どうしてお父様の兄弟たちは皆原罪があるのに、なぜお父様には原罪がないのか」』
韓総裁メッセージへの投影心理が働いた発言かもしれません。
『お母様のみ言葉は95%が真のみ言葉ではりませ』と思っているのかも。