神様と人類史と科学と私…NO2 | yosia621のブログ

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神も神が創った法則を厳守する。

被造世界に原理原則があることは統一原理でも述べています。

・神の間接主管圏、原理結果主管圏
「万物は原理自体の主管性、または自律性により、成長期間(間接主管圏)を経過することによって完成する。」

 

光と水と土があるとう条件を満たして種を撒けば、葉が出て花が咲きます。

植物は植物に与えられた原理原則(原理性)によって成長し花を咲かせることが出来る。

今年は水不足で植物が可哀想だから、水なしで成長できるようにしよう。とはなりません。

 

草食動物なら草食動物としての、肉食動物なら肉食動物としての法則があります。

ウサギは草を食べて成長する草食動物です、そういう体の構造になっていて、細胞レベルに至るまで植物の栄養素とりこむようになっています。

渇水で草が育たず餌が足りないから、ウサギを今回だけ肉食にする。とはなりません。

 

神は人間を子として創造したが故に人間自ら決定できる、自由意思を与えた。

神は共に喜びたいとして、愛する感情を与えた。

自動書記人形ような仕掛け人形やロボットではないとうことです。

 

結果、人類は堕落し、現在は復帰歴史の途中です。

 

堕落人間側からすれば、他人に分け与える事が出来ずに争いがおきる。

団体や国家の利己主義を隠しながら大義名分を掲げて、戦争、虐殺が起きる。

 

神からすれば、子である人間が決めたことには手が出せない。

「戦争は悲惨だから、自由意思を与えるのはやめた」と出来ないのです。それは最初に決めた原則があるからです。

 

悲惨な世界だからと言って、「神がいない」のではなく、「神はいるが見守るしかない」という原則を神御自身が厳守しているためです。

 

「天国が出来ますように御願します。」というお願い祈祷は聞きいれることは出来ない神。

お願いとは誰かに動いてもらうことであり、神に動いてもらうことになっている。

しかし、原理原則を無効にして神は動けないのです。

 

「天国を創建する為にこれこれこういう事しました。(します。)」報告なら、自分がこのようにします。このような祈祷(報告)なら、自由意思による主体的な行動なので、なんらかの返事がくるかもしれません。原則の範囲で「それで善し」「それは違う」等々。

(前回も書きましたが、1人の霊能者のお願い祈祷では震源地を動かすなど不可能なのです。)

 

み旨の道、成すべき事

復帰歴史の終結には人類の選択が不可欠です。

人類というと、大きく曖昧さが残ります。

人類の一人として、天国実現に向けて、私が成すべき事は、出来る場所から出来る事をやるしかないのです。

それは、個人や家庭、からだと思います。

個人の善悪闘争に終止符を打つよう努力しながら、家庭では夫婦、親子で平和な家庭を築くこと。

 

もちろん、其々使命があるので、教会に責任を持つものは教会を天国にする。

世界に責任を持つものは世界を、世界的天国実現、平和理想をなそうと尽力する。

天宙に責任を持つ方が再臨のメシアです。

その再臨主が宗教を超え、国家を超える平和運動を推進してきましたが、志半ばで霊界へ行かれました。

ならば、超宗教の時代に入ったこの時に、宗教に戻る事は、人類史の流れに逆行することと言えます。

 

復帰歴史の原理原則は信仰基台、実体基台であることは学んだけれど、復帰歴史の全てを理解しているわでもない。そして、これはメシアを迎える為の基台なので、メシアを迎えた後はどうすればよいのかは自分で勉強し、研究し、祈り、悟るしかない。

 

再臨のメシアも霊界に行かれました。

しかし私達には活字となった御言があり、個々様々な思い出があります。

何をするのか、どう行動するのかは個々の責任において決めていくしかない時代になりました。

 

科学の発展と宗教

人類は物理、生物などの科学の全てを解き明かしていないし、解き明かされた全てを理解はしてないない。

 

科学的とされていた進化論ですが、

中間段階の化石がない。必ずしも生存に有利な形質が選択されて、今に残っているわけではない。何億年以上もの間ほとんど進化していない生物がいるのはおかしい。など疑問点も多いのです。

 

物理学には理論物理学と実験物理学があります。

こうだとすると、こうなるはずだという推論から始まり、それを数式に落とし込み、理論を構築する理論物理学。

 

実験から出たデータや結果から、これはこうだとする物理学。

理論が先行してい物理学も、実験の技術が向上し、観測結果やデータが得られ実験物理も追いついてきています。そして理論と実験は相補的な手法です。

 

そして現代科学は、見えない世界、観測できないけど、「有る」「存在する」ということを認めています。見えなし、観測できないけど有るという段階に来ました。

量子の世界やダークマター、ダークエネルギーと言ったものです。

神や霊界は見えないから「無い」とすることが言えなってきています。

 

外的真理(科学)と内的真理(宗教:既存の宗教団体の教えでなく、根本の教え)は互いに補完的な真理と言えます。

 

そして推測、推論を根拠とし、数式化し、観測、実証ということで、科学は今日まで発展してきました。

 

統一原理は神の性相を明確にし、神の心情を説き、人類史の法則性を解明し、歴史の同時性の理由を根拠をもって示しています。

 

統一原理を古い⁈としたのは劣等感から。

統一原理は神の実在性とその性相を説き、神がいるのに何故、悲惨な戦争があり、不幸があるのかも解き明かしています。

 

人類史を復帰歴史という観点から紐解き、歴史の同時性を解き明かし、そこには信仰基台と実体基台という法則があり、それはメシアを迎える為の基台であると原理講論にはあります。

 

アダム家庭が失った、12、4、21、40数を取り戻す為にノア家庭の120年、40日、21日、40日があり、アブラハム家庭へと繋がり、それらが象徴、形象、実体展開したのが結果的に同時性を形成した人類史だと。

 

従来の宗教からみればかなり科学的論証になっていると思います。

 

ここにきて、統一原理を否定する宗教団体が現れました。

その宗教団体は『従来の[統一原理]は罪悪時代、蕩減復帰時代の救援摂理観なので、新しい時代である今は必要ない。』としています。

 

間違った理論は捨てないといけないが、正しいものは古かろうが、時代が変わろうが、必要なものは必要なのです。

 

自己の正当性を確立するてめに、他者を貶める。

しかも間違った主張であればそれは害悪と呼べるでしょう。

 

自己の正当性を確立するてめに他者を貶める、行為は・・・

劣等感のある人が、優秀な人に対して取りがちな行動があります。 

それは相手を貶めること。 どんなに頑張ってみたところで到底太刀打ちできないと感じた場合、ダメな人は自分を高める努力を投げ出してしまう。 その代わり、他者を貶めることで相対的に自分の価値を高め、優越感を持とうとするわけです。

 

統一原理の否定はこのような心理が働いての主張のように思います。

 


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