「真のお父様」先生の証と「真のお母様」韓鶴子嬢の証と韓総裁のメッセージ。NO1 | yosia621のブログ

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(*青字ブログ主加筆)

 

1977年5月3日 御聖婚記念 ベルべディアにて
「先生は今日、あなた方に私自身の証しと十八回目の成婚記念日にあたって感想を述べるよう言われました。」から、始まる韓総裁の証が載っている紫の本「オモニム」(現在は発行してないかも)があります。その後、『韓鶴子女史御言選集 愛の世界』と題して光言社から1989年3月11日に初版が出版されていのでご存じの方も多いと思います。

 

韓総裁が自ら語った証です。


<オモニム P43/ 愛の世界P20>
初めて先生にお会いした時先生は、私をご覧になってとっさに一瞬目を閉じて瞑想された後に、先生は心の中で囁くように言われたのです。
「おお神よ、あなたは韓鶴子というこんなに素晴らしい女性をこの韓国にお与えになりました。感謝致します。」と。
そして、「名前は何というのかね」と尋ねられたので、「はい、韓鶴子と申します」と答えました。先生はその時一瞬瞑想されてほとんど独り言のように言われたのですが私にはそう聞き取れたのです。
その時は、この宗教の教祖である先生が、自分の将来に関して特別な感動や啓示を受けられている様子をみて不思議に思いました

 

生まれた時から天の摂理を理解しているはずの韓総裁も、当時は不思議に思ったようです。現在の発言と矛盾していますね。


<同P45/愛の世界P20>
今日その記念日を祈っている聖なる子羊の婚姻が挙行されたのは1960年陰暦3月16日でした。その日の1ケ月前に、先生が幻に表れて神からの啓示を受うけたのです。「その日が近づいたから準備しなさい」と。

 

先生(文師)が幻に表れて教えてくれたと証ています。

現在、言している「全部知っていた」は、後付け、後出しジャンケンなのでは・・。


<同P45~P47/愛の世界 P20~21>
私はその時、どうして自分にそんなにも大きなことの判断が出きるのだろうかと思いましたから、無私にになる以外ありませんでした。
そして、「今までも私は御意ままに生きてまいりましたが、今神の御意が何であろうと、神の摂理が何であろうと、私はあなたの僕として、どんなことでもお命じになることに従います」と祈らずにはいられませんでした。

 

韓総裁は、「生まれながらの独生女で、自分の使命は悟っていた、理解していた」と仰っていますが、本当は主の花嫁になることに対し自分にそんなにも大きなことの判断が出きるのだろうか」と思っていたんですね。

 

神の御意が何であるか、神の摂理が何なのか、分からないけど、「従う」と祈らずにはいられない。「全てを知っていた」のであれば「神の御意や摂理」は知っていたはずなのに、祈るしかないという行動は矛盾しています。

 

「神の命令には従います」という、その信仰姿勢は見習うべきことです。

<同P47/愛の世界P21>
完全に外の環境から自分自身を隔離していたのです。
もちろん今となっては、それがいつの日か主にまみえ、主の花嫁となる者の聖別のため、天の準備であったことがわかりますが、当時の私は何も知らなかったのです。

 

やはり「当時は何も知らなかった」と、若き純粋な頃は真実を素直に証ますね。

<同P185 女性東亜:1986年5月号掲載記事/愛の世界P221>
韓女史が「文鮮明教主と初めて対面したのは、自分の年が十三歳の時、すなわち次女の仁進嬢と同じ年(七十七年当時)、小学校を終わろうとした時だ」と述懐した。

そして彼女は「お母さんと一緒に統一教会に入教してから、まもない時だ」と付け加えた。韓鶴子嬢が統一教会に入教しいて文鮮明教主と初めて対面した瞬間を聞いてみよう。

「初めて先生にお会いした時、先生は、私を見るやいなや、その瞬間目を閉じられて瞑想された後に、先生は心の中でつぶやくようにおっしゃいました。

『名前は何というの?』と言われたので、『はい、私は韓鶴子と申します』と答えました。そうしたら、『おお、神よ、韓鶴子というこんな立派な女性を韓国に送ってくれて感謝申し上げます。」と言われました。

先生は、その瞬間に瞑想さしながら、ほとんどひとり言のようにおっしゃいましが私にとっては、そのように聞こえました。

 

77年の証から9年経った86年にも、初めて対面した時のことは同じ証しています。やはり77年の証は本当の思いを述べているのだと思います。そして主の花嫁になることを文師の啓示によって教えられ、ご自身が証ているように『主の花嫁となる者の聖別のため、天の準備であったことがわかりますが、当時の私は何も知らなかったのです。』と何も知らなかったのは本当のことなんだろうと思います。

そうなると、現在発言していることは、変換された、誰かから植え付けられたものなのではと。

<同P56~P57 先生の証/愛の世界P112~P113>
だから、ある人が使命のある部分を果たしていると認められるならば、神は「あなたが主の花嫁の候補です。」ということができるのです。
しかし原理的にいえば、最終的にはいろいろな部分的役割を統合させる一人の実体なる方がその位置に来られるのである。そらが言うまでもなくオモニムなのである。
先生は今日、オモニムの知らない、背後で見られた混乱と競争の顛末について語りたいと思う。
原理を知っているなら理解できると思うが神がその独り息子をメシアとしてお送りになった時、その方は正しく全人類の花婿としてこられるのである。ことに人類のうちのすべての女性に対して、花婿としての位置にあるのである。


<同P57 先生の証/愛の世界P113>
そんなにおびただしい女性達から、かくも献身的、自己犠牲的な愛を受け入れた人はいなかった。それも天の摂理の一部であったのでる。
これらのことが聖婚式が行われた当時の背景である。
当時忠清におられた比較的無名なお母様が、先生によって『天の花嫁』として選びだされたのだから、それは多くの人々にとってなんと衝撃的な、いわば天地のひっくり返るようなショックあったことは想像がつくだろう。

 

やはり文師はご自分を「独り息子:メシア」と認識し、聖婚式の背景も天の摂理も知らない「韓鶴子嬢」を先生によって選ばれた。としています。

 

そして、過去の純粋だった頃の韓鶴子嬢の証が現在の韓総裁のメッセージを否定しているのです。

 

<同P57 先生の証/愛の世界P113>
「天の花嫁は必ず自分の家庭から出る」と信じ込んでいた家庭がたくさんありました。祖母、娘、孫娘、三代の女性が皆、自分たちのうちの一人が、来るべき天の花嫁になる、と神がお告げになったと信じていたのです。一家庭ならともかく、実に驚くほど多くの家庭がそう確信していたというのですからそれは本当に驚くべきことでもありました。

 

多くの家庭に神からのお告げがあったと証しています。

その一つが「韓家」だったことは間違いないと思います。

 


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