「いつもとなりに」ブログに掲載された寄稿文について。 | yosia621のブログ

yosia621のブログ

ブログの説明を入力します。

いつもわたしのとなりに神様ブログで取り扱っていた、公式サイトにある梅本憲二(777双)氏の寄稿文を取り扱います。

 

真のお母様の時代に生きる | 真の父母様宣布文サイト (trueparents.jp)

以下引用(黒文字) ブログ主所感及び加筆(赤文字)

 

16 真のお母様と一つになって生きる


「真のお母様と一つになって生きる」
というテーマを考えるとき、筆者にとって原点となるお母様のみ言があります。
それは前出のお母様を囲む特別集会(注1)でのみ言です。

――実は、筆者も恵みを得て、このツアーの一員として
同集会に参加させていただいていたのですが――、

 

その集会でお母様は、「皆様は真のお父様を愛し慕って来ましたね?」とたずねかけられ、皆が「はい」と答えると、お母様はすかさず「では皆さんは、これまでどれだけ私にそのようにしてくれましたか」
という主旨のみ言がありました。

 

愛し慕うという情は強制させられるものではありません。

文師を慕い、愛したのは、各個人の自発的な情であり、対象者から「私を愛し慕いなさい」と言われて湧き上がる感情ではないのです。

 

皆様も親として子供達に「慕いなさい、愛しなさい」と言ったことありますか?言えますか?

では何故、韓総裁はそのように言ったのでしょうか?

 

その率直なお母様のみ言は、そこにいた者たちの心に痛く響きましたが、しかしそれはまた「お母様の時代」が来たことを、はっきりと自覚させられるみ言でもあったのです。

 

ところで、そこでの「どれだけ私にそのようにしてくれましたか」
というお母様のみ言は、今日、お母様がいろいろな場で語られる、「私と一つとなってほしい。そこに勝利の道があるのです」というみ言と、軸を同じくするものではあるのです。

 

どれだけ私にそのようにしたくれたましたか」と言う時に、そこには他人と比較した「愛の減少感」が内在しています。この場合は文鮮明師との比較です。

愛の減少感を埋めるために、ご自身を特別視して、心地よい事を言ってすり寄ってくる人たちを是とし、寵愛します。その人物の人柄や動機を見るのではなく、甘美な賛美を言う人を近くに置き権力を与えます。その結果、ユ・ヨンホ氏のような輩が現れ、好き勝手に不正を行うのです。

しかし、そこには、日本の家庭連合の幹部や先輩家庭に対してであればこそ訴えたい、一歩踏み込んだお母様の願いが込められていたように思います。

 

梅本憲二(777双)氏の立ち位置ならそうのように感じるでしょうね。

すなわち、そのみ言からは、単に「私と一つになってほしい」ということにとどまらず、われわれが真のお父様に対してそうであったのと〝同じ心情基準〟で、お母様に対してもそうあって欲しい、というお母様の切なる願いが、感じ取れるのです。

しかしそれは、お母様の願いだけにとどまらず、まさしく天の父母様の願いでもあり、また真のお父様の願いでもあると言えるでしょう。

 

果たしてそうなのでしょうか?

このように単純に韓総裁=文師=神と発想する危険性を危惧します。

 

「私が知っている天と、お父様が知っている天は同じではありませんでした」と韓総裁ご自身が語られました。(麗水2023年5月25日)

梅本氏は「願いが同じ」とする理由を以下に述べられていますが・・・。

なぜなら、真のお母様は御聖婚以後52年間に亘り、真のお父様と一つになって過酷な十字架の道を歩まれ、最終的に真のお父様と共に、真の父母として勝利されたからであり、また真のお父様聖和以後、「私だけが残りました」という心境で「中断なき前進」を宣言され、今尚真の父母様の代表として地上の摂理を牽引されておられるからです。

 

韓総裁は2015年12月25日のクリスマス晩餐会にて『50数年がたったのに、今でも独り娘としての待遇、扱いをしてもらえていないようですが、どうするべきでしょうか?』と語っています。独生女(独り娘)は自分であるとして現れた時に、この事実を夫である文師も知らない、神様しか知らない事実として公表しました。

更に、文師のメシアとしての出発は16歳時のイエス様から召命された時で、ご自身は誕生からと言い、文師にはご兄弟がいるので原罪があり、ご自身は無原罪。

そして、「真の父母」となれたのは御自身(韓総裁)と聖婚したからという。

このようなメッセージを語る韓総裁が『真のお父様と一つ』と言えるのでしょうか?

一つではないと韓総裁が明かしているのに、信徒として無理無理に御父母様は一つとしたい勝手な思いで綴られています。

とは言え『過酷な十字架の道を歩まれ』た事は確かだと思います。

否、それだけではありません。
より本質的な次元から言えば、真の父母様が実体的に定着されたということ、すなわち、絶対、唯一、不変、永遠的な真理的実体となられたということは、真のお父様は父なる神(神の男性性相)の、また真のお母様は母なる神(神の女性性相)の顕現者となられた、ということを意味するものです(注2)。

 

韓総裁の価値性を過度に高めたい為に「母なる神の顕現者」と書いたのでしょうか?それとも神格化したいとう願望の表れなのでしょうか?

参照する御言には「半分の神様」とあり「母なる神」と明確には書かれてはいません。

神は陽性陰性(男性性相、女性性相)の中和的主体です、中和とはまぜこぜの状態の事なので、陽陰をはっきりと分けることはないと思いわれます。

それに『絶対、唯一、不変、永遠的な真理的実体となられたということ』『母なる神』『(神の女性性相)』との因果関係が分かりません。

そもそも『神おける陽性と陰性とを各々男性と女性と称する。』と原理講論にもあるので、強調しなくとも女性は神における陰性を顕現しています。

そして本質的には人類みな神の実体対象です。

そう考えると、お母様は母なる神」「神の女性性相」と韓総裁の神格化し、権威を増したい狙いがあると思われます。

 

そしてそのことは、両者(真のお父様と真のお母様)が、同等の絶対的価値を持ち、侍られるべき存在であることを意味しています。なぜなら「統一原理」的観点から見れば、男性と女性は、その属性は対象的であるが、共に同価値を持っていると言えるからです。

 

父母(両親)における、父と母の価値に上下はない事には賛同します。

男女の価値も仰る通りです。

またもっと単純に言えば、真のお父様は未来永劫にわたって、われわれ全人類の共通の父(アボジ)であり、真のお母様は未来永劫にわたってわれわれ全人類の共通の母(オモニ)であるからです。

そこで、今一度、本稿冒頭の以下の真のお父様のみ言を、再度確認しておきたいと思います。

「お母様を中心として皆さんが一体になっていかなければならない時が来ました。
……お父様がいないときは、お母様のことを思わなければなりません。
……先生の代わりにお母様に侍る心をもち、祈祷もそのようにするのです。
今までは先生を愛してきましたが、これからはお母様を愛さなければなりません。
これからはお母様の時代に入っていくことを理解して……」
(「選集」265-310、1994・11・27、『絶対価値』116~117頁)。

「大いに尊敬しなければなりません。
……先生よりも、お母様をもっと重要視できる統一教会員になれば福を受けるというのです」
(「選集」220-236、1991・10・19、『絶対価値』118頁)。

 

梅本憲二(777双)氏が紹介した、上記御言は1990年代前半のものです。

下記御言は1990年後半からのものです。

 

「オモニはいなくてもかまいません。オモニはいくらでも探し立てることができます。」(1999.9.9)
「オモニが堕落したので外れるのです。」(2000.3.06)
「父が母を通じて生んだ息子が相続することの出来る時代が来るのです。」(2000.11.11)
「お母様がどうして神様の夫人の位置に立つのですか?堕落した女性として、どうして真の父母の夫人の位置に立つの?」(2009.7.12)
「オモニがアボジの言う事を聞かずに「私の言う事を聞け」というのはルーシェルよいも恐ろしい存在だ。」(2012.1.19)

「オモニと一緒にいる者たちは清算の対象である。オモニがアボジの道とは違う道を歩んでいる。皆、オモニとグルになって私とは違う道を歩んでいる。」(2012.1.30)

「男たちがオモニに従って議論するとは、それは教会を滅ぼす道だった。オモニを中心に議論し、オモニがすべてのプログラムを決定するということはあり得ないことだ。」(天福祝祭/2012.1.24)

「オモニが勝手にこうしろああしろとは言えない。聖進のオモニもこのオモニも同じだ。」(天福祝祭2012.1.24)
「今までオモニもアボジもひとつになれずオモニがアボジと息子娘を今までほおりだした。中略
先生に家庭が完全に踏みにじられた。」(2012.7.19)

 

<御言選集>から消された御言もあります。
312巻 179項
「お母様が自分の考えで巣を作れば問題が大きいのです。お母様が責任を果たせなければ、いくらでも後継者はいるのです。オモニ、よく知っておかなければならない。」(1999.10.15)


489巻222項
「オモニよく知っておかなければならない。神様は、オモニを中心に先生が一つになれとは言っていない。
そのような方法はない。」(2005.3.2)


610巻139項
「オモニも先生の肩の上で頂上に立とうとしていますが、オモニの言葉に屈服してはならない。」(2009.4.22)

614巻28項
「オモニがどれほど凄いのか分かりません。原理原則を中心に天の国の天法生活に入ると、直ちに引っかかる状況が多くあることを知らずに勝手なことをしています。」(2009.7.12)

614巻28項
「オモニがどうして、神様の夫人の‎位置に立つのか。堕落した女として真の僕の夫人の位置にも立てずに・・・」(2009.7.12)

と、1990年代後半からは韓総裁に対する文師の御言は変化しています。

これは何を意味するのでしょうか?


(注1)本稿[14の2善神の業]で言及しているが、2016年のクリスマス集会の折に持たれた特別集会。
(注2)「神様が完全な神様であれば、アダムとエバは半分の神様です。
アダムも半分の神様、エバも半分の神様です」(天一国経典『天聖経』4-1-1-12)

 

ご本人が2016年と書いているので2016年にもクリスマス集会あったのかもしれませんが、クリスマス集会における韓総裁のメッセージが話題となったのは2015年12月15日の「クリスマス集会」です。

 

以下韓総裁のメッセージを紹介して終わります。
「私が1960年には未だ幼かったのですが、そんな私がそうしたのです。蕩減復帰摂理歴史は私が終了させました。」(2013.8.15)
「血統転換、私は胎中にいる時からそうなのです」(2014.7.1)
「 お父様の歴史は、イエス様の使命を引き継いだその時、その瞬間がお父様が独り子となられた資格です。」(2014.7.1)
「この韓族を通して天は、皆さんが知っているように本来、天子を送ろうとしたのですが、趙漢俊(チョ・ハンジュン)お祖父さんの銅銭3銭が引っかかって天子ではなく天女を送るとおっしゃいました。これは伝説ではなく、事実です」(2014.7.1)
「 独生子が独生女を教育したとは言えません。ですから私が決めました。私が決心したのです。」(2014.10.27)
「人類が待ちこがれ、天の父母様が待ち望んでこられた中心が顕現したのですが、この真の父母を知らない70億の人類がいるということは、私たちの責任ではありませんか。」(2015.10.27)
「皆さんが清平の役事が分かるだろう。大母様がそのような摂理歴史をすることができたのは独生女を誕生させ、摂理の中で家庭よりは再臨メシアの真の父母の道のために一生を苦労した。」(2016.10.5)
「独生女は完璧に四位基台を成して責任を果たした。」(2016.10.5)
「私を生んでくれた父母がいたが、私は神様を父と知って育った。私の祖母も大母様もそのように認めた。神様が私の父。人類のなかで神様を父と知って生まれた人はただ私一人。2000年前のイエス・キリストと。」(2016.12.25)

「アボジは原罪をもって生まれました。無原罪でこの地に生まれた独生女に出会うことでアボジは原罪を脱ぐことができたのです。アボジは私に出会う以前に誰とも結婚すべきではなかった。」(2016.12.30)

「お父様がチェ・ソンギル女史と結婚したのは間違いだった。オモニが韓国に南下したのに、お父様が北朝鮮に入ったのはまさにこの誤った結婚に対する蕩減で ある。」(2017.8.14)
「その蕩減をすべて清算し再び南に降りてきて、お母様に会って聖婚することによってお父様は誤った血統による原罪を清算することができお母様によって真の父母の道を歩むことになったのである。」(2017.8.14)

 


にほんブログ村