神と素粒子と私の話 | yosia621のブログ

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ビックバン当時の膨大なエネルギーのみの時を経て、素粒子が現れ、やがて原子となり、分子となり星となったわけですから、大宇宙の初期の歴史をたどれば、必然的に素粒子とは?力とは?という問題に行き当たります。

素粒子の性質を論じた量子論、量子論を土台として現象や動きなどを研究した学問を量子力学と言います。

その量子力学は現代科学の最先端です。

「量子力学を利用できる人は沢山いても、量子力学を理解できる人は一人もいない」byファイマン博士(1965年ノーベル物理学者)と言われるほど、難解です。


物質の運動は全てをニュートン力学や解析力学などの数式で解決できました。これまで質量、位置、速度が与えられれば、後の物質の動きは決定され、天体の動きや宇宙船、振り子、電磁気など、いつの時点で、どの様に動くかというのが計算によって導き出され、実験結果も同じで正しいとされてきました。

 

ところが、素粒子の極小世界はこれまでの物理学の常識が通用しません。

原子を構成する素粒子は「粒であると同時に波である」と、2つの状態が同時に存在するという摩訶不思議なことが定説となっています。

 

しかも波の状態から粒になる時に、何処に顕れるのかは確率よるので明確に特定できないとうのです。

 

身近なところで「光」についていえば、「光の波動説」と「光の粒子説」があり、「光」は波なのか、粒なのかとうのが、長い間にわたって対立し、議論されてきました。

ニュートンは光は真っ直ぐ進むし、プリズムに通すと虹色に分散されるから粒だとしました。

オランダ学者ホイヘンスはスリットの間を通った光は、裏もぼんやりと明るくなる(回析)し、スクリーンには干渉縞が出来る、これは波の性質の証明であるとし、もし粒だったら回析や干渉は起こらないと反論しました。

 

波派が主流となりつつある中で、黒体放射や光電効果という現象から光は粒の集合体であると考えないと説明できないことを指摘した、アルバート・アインシュタインは1905年に「量子仮説」(光は波と粒子の性質を合わせ持つ)を唱え、量子論の起爆剤となりました。

 

「光」も電磁波の一部であることが分かってきました。

私たちが普段から目にする「可視光線」、レントゲンなどに使う「X線」、日焼け、消毒などに使う「紫外線」、リモコンや暖房などの「赤外線」、そして携帯電話やテレビなどの「電波」。すべてが光と同じ「電磁波」の仲間だったのです。違いは波長の長短という事です。

電磁波の素粒子は光子(フォトン)と名付けられました。

 

【量子とは何か】

全ての物質は分子から構成されていて、その分子は原子の集まりで出来ています。

原子は原子核と電子から成りたっています。
原子核は中性子と陽子からできています。
中性子と陽子はクオークなどの素粒子からなっています。
重力、弱い力、強い力、電磁力もグルーオンという素粒子の行き来で成り立っています。

物質をたどれば素粒子となりますが、その素粒子は不思議な事に前述したように「粒でもあり、波でもある」「粒であると同時に波でもある」ということを現代科学が解き明かし、この素粒子を「量子」と呼び、量子を研究し、論じたのが「量子論」であり、量子の状態や運動力学を説いた仮説全般を「量子力学」と言います。

 

とても小さな人間の目では捉えられない、極小の世界の運動や状態を扱うのが「量子力学」と言う学問で、量子という極小の世界は、これまでのニュートン力学や電磁力学の常識が通用しない不思議な法則に従っているのです。

 

「量子は粒であり、波の状態でもある。」って、どういうこと?って思います。

普段は波のように漂っている状態が「観測」すると、粒になると言うのです。

量子は普段は波のようにぼわーーと漂っているが、「観測」した瞬間に粒になるとうのです。その粒も何処に収縮し現れるかは確率があるだけで、現れてみないと確定しない。というなんだかわけのわからない解釈となっています。

 

パンと小麦粉で例えるなら(無理無理で適切かどうかも?ですが・・・)

普段はぼやーっとした小麦粉が舞っている状態なのに、観測した瞬間にパンになったみたいな、しかもぼあーっとした雲のような、霧のような小麦粉の状態がパンになるその位置は、中央なのか、右端なのか、下の方なのか、何処に実体化するかは確率でしか計算できない。現れたてみないと解らないけどパンは確実にどこかに現れる。というもので、マクロな世界生きている我々には「あり得ない」現象だし、考えの及ばない世界です。

でもミクロの世界では、そうなんだと言うのが現代科学の結論なのです。

 

そこで、ざっくりと「量子力学」の成り立ちを書きます。

【量子力学の歴史】

1924年:ド・ブロイ /論文:物質波仮説を考案

ド・ブロイは「波だとされてきた光が粒なら、粒だとされてきた粒子も波のようにふるまうのでは?」と考え、「粒とされていた電子、陽子、中性子も波の性質を持つ」という仮説を立てた論文を発表しました。

これによって ニールス・ボーアの原子モデル(教科書に載っている、原子核の周りを電子が回っている)の矛盾点を解決できた。

*矛盾点解決とは:原子核(陽子、中性子)の周りを電子が粒として周回運動しているなら、いずれ運動エネルギーが無くなり原子核に落ちていくはず。しかし、安定しない波のように漂っているのであれば原子核に落ちることはない。

 

1925年:ヴェルナー・ハイゼンべルク/行列力学を考案

行列計算というとても面倒で難解な数式によって量子の状態を表す計算手法を考案しました。

多くの物理学者が受け入れがたいほど面倒な数式で、難関ゆえに敬遠し訴外されていました。

しかし、この行列計算によって、れまでの力学(古典力学)では運動量や位置はある時点においては確定していたが、量子においては運動量と位置とは同時に確定値を取れないということが解ったかのです。

 

1926年:エルビン・シュデリンガ-/波動力学を考案

、ド・ブロイの論文を読み、量子は粒と波の性質を持つという二重性を方程式で表し、この方程式をシュデリンガーの方程式(波動方程式)といいます。

シュデリンガーの方程式は量子が波動であり空間を波のように広がるその状態を表しました。

ハイゼンベルクの行列計算(行列力学)とシュデリンガーの方程式は全く異なるアプローチで導き出しているのに、計算結果は不思議と一致しました。

しかし、シュデリンガーの方程式に「波動関数」があり、その「波動関数」が何を表しているのは本人でさえ分からなかったといいます。

 

1926年:マックスボルン/波動関数の確立解釈を考案

マックスボルンは、シュデリンガー方程式の「波動関数」を「電子が存在するかもしれないという確率の分布」と解釈しました。

決定論を信じてきた学者「宇宙を構成する粒子が確率的振る舞うなら決定論は崩壊する」とし、アインシュタインも「神はサイコロを振らない」「月はいつもそこにある」として反論しました。

マックスボルン(確率論)VS決定論は、どちらも決め手の無いまま膠着した。

 

1927年:ウェルナー・ハイゼンベルク/不確定原理を考案

ヴェルナー・ハイゼンべルクは自身の行列力学を理論的に説明して、「観測効果」によって粒子の位置を知ろうとすると、粒子の運動が観測できないし、運動量を測定すると粒子の位置が分からなくなるとした。

自然の摂理として粒子の運動量と位置を同時に知る事は出来ないというものです。

→後に粒子の持つ「不確性」と「観測効果」は別と証明された。

 

1927年:ニールス・ボーアはヴェルナー・ハイゼンべルクの「不確定性原理」・マックスボルンの「波動関数の確立解釈」・「シュデリンガー方程式」の全てを取り入れて量子の神髄を導き出そうとしました。

粒子が粒であるとして導き出したハイゼンべルク行列力学と波であると導き出したシュデリンガーの方程式の計算で導きだされた答えは不思議と一致する。そこで、どうにか波と粒の性質を繋げれば見えてこなかった量子の性質が知れるのでは?と考えた。

 

1929年:ニールス・ボーア/コペンハーゲン解釈(これが現在の主流派となっています。)

「観測するまでその状態は決まっていない」と解釈すること。

観測前は確率の雲のような波の状態が存在し、観測すると波動関数の収縮により観測者の観点から粒子として性質を確定させる、波動関数の収縮は確率的で、高い低いはあるが雲のような状態のどこに確定してもおかしくない。という解釈です。

これは、様々な実験の結果と合致していたので多くの学者の支持を得ました。

 

観測するまでその状態は決まっていない?そんな馬鹿な事はないと、異議を唱えたのが、量子力学の基礎を築いたシュレーディンガーです。

「コペンハーゲン解釈」に反対する為の考えたのが、有名な「シュレーディンガーの猫」という思考実験です。このシュデリンガーの猫の思考実験で、コペンハーゲン解釈の矛盾を示しました。

*「シュレーディンガーの猫」・・・箱を開ける(観測)まで、猫が生きているのか、死んでいるのか確定しないなんて、そんなはずはない。とした思考実験。

 

猫の生死が観測するまでは同時に存在するのであれば、確定しなかった世界も存在するのではないかと考えた学者もいて、それが他世界解釈(パラレルワールド)です。

 

【量子の重ね合わせ】

観測するまでの量子のある位置を「重ね合わせ」と言います。
電子(量子)1個を箱の中に入れ、その箱の中に仕切りをして2ツの部屋にすると、電子は50%ずつの確率で「どちらにもある」というのです。
確率ではあるけれど、状態としては左右どちらにもあって、フタを空けると電子は何事もなかったかのように"どちらか一方"に入っているのです。フタを開けて観測をした瞬間に、電子は左右どちらかにいる状態に収束するのです。

フタを空ける前の状態、両方にある状態を「量子の重ね合わせ」と言います。


マクロ世界でいえば、箱の中に野球ボールを一個入れフタを閉めて、適当に仕切りしたら左右両方にボールが存在していて、箱を開けて確認した瞬間に左右どちらかに顕れ、空けるたびに右だったり、左だったりと移動もあるという。日常のではあり得ない摩訶不思議なこことが、量子の世界では当たり前のこととしてあると言うのです。

 

【量子のもつれ】(コペンハーゲン解釈からすると)

どんなに離れていても量子は互いに影響し合う。というのもで、何光年離れていても量子同士の片方の状態が確定(例えば右回転)すると、同時にもう片方も状態が確定(左回転)するというもの。

物質速度は光速を超えないとする相対性理論にも反していたので、アインシュタインを中心にEPR論文で疑問を投げかけた。

「量子もつれ」2016年に中国の研究グループが実験に成功し、実証されました。

 

「量子もつれ」は量子情報学(量子力学の技術応用)で、量子コンピューターの基礎理論として確立されていて、量子のテレポーテーション(量子もつれの複合的利用)は実証実験でも成功しています。

 

【現解釈での問題点と課題】

今のところコペンハーゲン解釈が主流であることは確かですが、何の問題もないかと言えばそうではなく、「観測とは?」、何を持って「観測」とするのかは明確になっていません。

人間の知識が追いついていないだけで「確率でなく確定した、未知の変数」があるんだと研究している決定論の学者もいます。

物理を確立的に考えると他の可能性もあることになり、多世界解釈(いわゆるパラレルワールド)を説く、研究している学者もいます。「過去にも飛べる論」なんかもあります。

 

【観測問題】

「観測とは何か?」というのが「観測問題」で「コペンハーゲン解釈」の最大の難関と言ってもいいようです。量子の収縮を直接観測することができないため、「観測」に関しても様々なの解釈があり、それぞれの解釈が回答しなければならない、重要な問題を提起しています。

 

目に見えない極小の粒子それ自体になんの影響も与えずに観測することは難しいのです。

一個の電子を観測する場合はガンマ線をあてて、その拡散の有無で間接的に電子の存在を測定しますが、ガンマ線をあてる事で電子はどこかに飛んで行ってしまうかもしれない。確実に電子に影響をあたえてしまいます。

 

例えば、水の水温を測るにしても、50mプールの水の温度を測るときに水温計で測っても何の問題もないけど、一滴の水の温度を測る時に水温計を入れると水温計本体の温度が影響し正確な温度は測れません。小さな世界では観測、測定する行為が影響を及ぼすのです。


この様に観測が影響を及ぼすというのは、マクロ世界とミクロ世界、扱う物理の違いなのです。

1ミリ(ミクロ)の階段状の坂道であっても、人(マクロ)は気にせず登れるし、誤差の範囲ですが、小さな蟻(ミクロ)にとっては1ミリ段差は大きな階段になり、とても苦労します。100センチの階段なら、人には大変な段差だけど、ゴジラなら気にする高さではいでしょう。ちいさなものであるほど誤差の影響は大きくなるのです。

 

【観測問題の観測とは】

前述したように「観測」の解釈も様々あります。

その一つに、「ノイマンウイグナー解釈」があり、「ノイマンウイグナー解釈」での「観測」とは人間の「意識」だとして、人間の意識のよって「波動関数」の収縮が引き起こされるとする解釈です。

この解釈を更に拡大解釈し、人間の意識が物質に多大なる影響を及ぼすんだとして、引き寄せの法則の正しさの根拠としたり、スピリチュアルな世界を量子力学という最先端現代科学で証明されたとする人もいますが、この結論には至っておらず、解釈の一つでしかありません。

 

【量子力学の恩恵】

私たちが日常使っている、スマホやPC、その中に入っている半導体という重要な部品は、量子力学(量子論を含む)を基礎とした技術が生み出したのです。

 

【神と物質と人間】

量子力学は、ミクロな世界での物質のもつ不思議さと可能性を提示してくれ、マクロ世界での常識を覆すような事象があることを解明してくれました。

 

その一つに、今まで科学とは無縁だった「観測者」を、科学の表舞台に登場させてくれたことは神を信じる私にとって、大きな収穫です。

 

「観測」というのが人間の意識かどうかは別にしても、「観測」というは少なくとも「人間の行為」なのです。

これまで、宇宙は物理法則(原理原則)のみが影響していて、人間の存在は関係ありませんでした。しかし、人間も含め大宇宙(マクロ世界)を構成している原子、素粒子(ミクロの世界)では、観測するという人間の行為が関係してるというのです。

 

『「宇宙には確率があるのみである。それを確定するのが人間である。」これが現代物理学の結論なのです。』(小林浩著「神様は、もう科学の常識?」光言社)と結論している書もあります。

 

小数点の後に0を17個並べたcmの素粒子世界の話ですが、「神は人間を中心として万物を創造した」とある「創造原理」の実証になったのでは?思います。

 


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・素粒子も発見されているだけでも17種類、理論上はもっとあるとされていて、素粒子を物質の基本とするには難があるとして、素粒子を構成している物質の基本は「ひも」であるとした学者が現れました。それが、「超ひも理論(超弦理論)」です。

また機会があれば。