「文鮮明師」の「説かれる神様」が存在しているという前提で書きます。
中和的主体であり、人格神であり、その本質は「愛」です。
その神様が人類の堕落以後、復帰摂理歴史を中心人物と共に歩み、ようやく再臨時代まで来ました。(神の遍在性から私にも貴方にも、原子の一粒にも神は内在していますが、心情的観点から中心人物と共にと表現します)
キリスト教が受け入れず、2次的に派生した団体の中核が「世界基督教統一神霊協会」です。
「世界基督教統一神霊協会」の発展がその目的ではなく、復帰摂理の過程で2次的に必要だったので、文師が創設したにすぎません。
2次的とは言え、ある程度は「発展」して「力をつけ」、社会に「認知」されなくてはならないでしょう。(一定の勝利基準が必要)
そして時は「教会」から「家庭連合」へと、その使命を移し、社会構成の最小単位の家庭(神様が宿る)において連合し、地域においては氏族メシア活動によって、神の国実現に向けて責任を持ち、国際社会においては「アベルUN」への連結という総括的摂理観を文師は訴えていたと理解しています。
(*アベルUNに関しては「瞑想猫氏」のブログにとても詳しく書かれています。http://ameblo.jp/nyanko737/entry-11390889461.html *ホームチャーチに関しては「linx氏」のブログ参照 http://ameblo.jp/subuntu/)
そういう観点から見た時に「教会」「宗教」という枠組みに縛られていては、全般的な摂理が見えなくなり、唯一「統一教」にのみ「神が臨在」しているという閉鎖的考えや理論展開は限界があると考えられます。(日本総会長曰く:神は統一教会員の祈りしか聞かない)
「文師」の説く、「神」は「絶対善」です。
組織に迎合しない者を打つ(迫害や罷免)という思想や発想はありません。
ましてや「暴力」による「実力行使」などは善なる神様は容認しません。(http://ameblo.jp/gildong/entry-11326343331.html)
そして、万物(お金、位置、権力)に主管された組織に臨在される事もないと思います。
「神」が相対できない組織や個人と共に「御旨」を成せないと思います。
しかし、「神が存在していて、この罪悪歴史に終止符をうとうとしている」と考える時に「地上にいる誰かを用いて」摂理を成そうとすることは確かです。霊界にいる誰かではありません。
「神の心情」を説き、「復帰歴史」を紐解いた「文師」が再臨主であるとするなら、その「血統圏」を「神」は持ちいると私は考えます。この「血統」という考えは「キジも鳴かずば氏」とほぼ同じ考えからです(http://hjnsupporter.blog.fc2.com/blog-entry-75.html http://hjnsupporter.blog.fc2.com/blog-entry-76.html)
現組織「統一教」と「自分」を用いて神が摂理されると思う方がそうすれば良いと思います。
「國進氏」と「自分」を用いて成すと思う方はそのようにすれば良いと思います。
他の血統圏の子女様と「自分」を用いて成すと思う方はそのようにすれば良いと思います。
或いは「神」は血統圏に拘らず「他の誰か」かもしれませんし、他団体かも知れません。
ここで重要なことは「私」も「神の御旨」を成す「主人公」の一人であるということです。
文家の誰かがやってくれるのでもなく、神様がやってくれるのでもないと言う事です。
とにかく文師の説かれた「神様」がいる限り、「地上天国」が「実現」するまで、「神の御国」がこの地上に出来るまでは「復帰摂理」は終わらないのです。
世界平和の鍵は「南北統一」であり、アベルUNであり、その鍵を握るのは「祝福中心家庭」の皆さまである様にと祈ります。
この文章を書き終えて、「神様の夢の実現3」を読みました。
同じような事が書いている個所があり、びっくりしました。
後日、ご紹介します。
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