セネガルでは、路上で食料や雑貨を売り歩いている人々のことをバナバナと呼びます。
本当にいろんなものを売っていて、(クオリティはともかく)手に入らないものなんかないんじゃないかと思うほど。
ティッシュ、洗濯ばさみ、携帯のクレジット、スプーン、サンダル、ネックレス、ボディクリーム、イヤホン、携帯ケース、タオル、歯磨き粉、サングラス、蚊帳、蚊取り線香、ネズミ捕り、箒、電球、工具、バケツ、傘、ボウル、ボディタオル、コーラン、パンツ、靴下、Tシャツ、マッチ、鏡、ペン、お祈り用マット、ヘアアイロン、剃刀、おもちゃ・・・・・
バナバナが近づいてきたときに「○○ある?」と聞いて、持っていれば買う。
たいてい値段交渉が必要でこれは根気強くやらなければならないが、商品がなかった場合に仲間を呼んであちこち探して回ってくれることが多い。
なんとか買ってもらおうと必死なのだ。
めんどくささはあるものの、わたしはこのバナバナたちの存在はすごく助かるなと思う。
だって店まで行かなくたって売りに来るんだもん。
セネガルの場合、道端で買おうとお店で買おうと商品のクオリティは同様に低いので、店で買ったからといって特段長持ちしたり保証がつく等お得なわけではないのだ。
だったら気づいたときに「ある?」と聞いて交渉により安価で手に入れる方が断然簡単。
首都ダカールでは最近、バナバナが一掃されてしまい、ほとんど見かけなくなったという。
追い払ってるお回りさんだって、バナバナやから歯磨き用の枝を買ったりコーヒーの売り子さんからコーヒーを買ってるだろうに。
そんなこんなでセネガルの名物とでも言うべきバナバナ、ここイタリアでもよーく見かける。
バッグを片手にたくさん抱えて歩いてたり、サングラスを並べて道で売ったり。
わたしは彼らが異国の地で一生懸命観光客にものを売ろうとする姿を見て、なんだか応援したい気持ちになってしまう。
もちろん、偽ブランド品を売ることは違法なんだけど。
わたしの友だちは彼ら路上の物売りに対してあたりがきつい。
「なんで売れない物売って、いらないって言うのにしつこくするんだろう。死ねばいいのに」
「あぁいうことしてて恥ずかしくないのかな」
「バカすぎて気持ち悪い」
そこまで言わなくてもってことをガンガン言うもんだから、わたしが悲しくなってしまう。
少なくとも彼らは仕事として物を売っていて、それは買う人がわずかでもいることの証明でもあり、それはそれとして「あるべきもの」なのだ。
物を売って得た利益のほとんどは手元に残らないかもしれない。
それでも祖国に送金しようとしているかもしれないし、お祭りに向けて規制できるようにせっせと貯めているかもしれない。
炎天下の中で観光客に冷たくあしらわれながらも根気強く物を売ってる彼らを応援こそすれ、恥ずかしいなんて思わない。
いらなきゃいりませんて言えばいいだけだし、友だちがそこまで怒ったり蔑む必要はまったくない。
職業差別、人種差別、経済力差別、とにかくいろんな差別を含んだ悪意的な発言に辟易することがたくさん。
どうやって戦うか、思案中。