さて,いよいよ6月も最終日。

この上半期,ブログを読んでいただいた方,現場でご挨拶させていただいた方,そしてX等で絡ませていただいた方,オタ活を通じて関係していただいたすべての方にまずはありがとうを伝えたいと思います。

イコ・ノイ・ジョイのメンバーはもちろんなのですが,関係する皆さんがいて充実した楽しいオタ活ができているなと感じています。

 

 

さて,本日は上半期のオタ活において自身の大きなトピックスのラストとなります。

テーマは「コール」。

 

 

私はもともと莉乃ちゃんがいたころのAKBやHKTを配信などで追いかけていました。

その際に画面の中で行われているMIXやコール。憧れでした。

スタンダードなMIXやコールは画面を通してしっかりと勉強もしました。

 

が,現場に出始めたころはコロナ禍。

そこにはMIXもコールもありませんでした。

 

もちろん,現場に出始めたころは目の前にイコラブちゃんがいるという感動で,正直コールができるかどうかなんてどうでもいい。実物をみながらその歌を聴けるだけでこの上ない満足を得たものです。

 

ほどなくしてコロナ禍も出口が見え始め,本格参戦したトリガーツアーでは「こちらが求めた声はOK」や「思わず出てしまった声はOK」という,なんともあいまいな感じではありましたが,それでも少しずつ声出しができていくことで,画面越しに見ていた“現場”に出ているんだなという感慨にふける感覚も出てきました。

 

しかし同時にMixやコールについてはコロナ禍が開けようとした頃に少し論争的なものがあったと理解しています。

イコラブちゃんたちの歌声が素晴らしいということもあり,「イコラブの歌を聞きたいんであって,オタクの声が聴きたいんじゃない」という論調もあったかなと思います。

それに対してアイドル文化はコールを含めてのものだという考え方も当然にあるわけで,これはある種の価値観の相違であって,神学論争なんだろうなと思っています。

さて,自分はどうしたものか。

今でもおそらくこの対立はゼロにはならないですし,正直私はどちらの気持ちもわかるということしかできません。

 

ただ,私はこの問題では基本に立ち返って考えています。

その基本とは何かというと,ライブはファンから提供するものではなく,メンバーから提供されるものであるということです。

ファン一人一人はあの曲聞きたかった,あの衣装見たかった,あの子のソロが聞きたかった…様々な要望があるでしょう。

もちろんそれは作り手に伝えてもいいでしょう。が,それを受け入れるかどうかは作り手の問題であって,作り手がNoといえばNoなんですよね。

そこで言えば,コールをする・しない論争についても,ファンがどうするというところは一旦さておき,メンバーがどうしてほしいかを中心に考えたいんです。

(もちろんこれについても異論は大いに認めますし,他人にそれを当てはめてこうすべきだといいたいわけではありません。あくまで自分の中での考え方です。)

そして,少なくともイコラブ・ノイミー・ニアジョイのライブではメンバーが声を求めてくれている。それに対してはしっかりと答えていきたい。そう思っています。

 

 

そしてこの上半期,特に一昨日書いたイコラブアリーナツアーの全通を通して,自分自身楽しんでコールをすることができてきました。

それまでおっかなびっくりで,正しいコールは何かな?という感覚で周りを見渡しながらしていたコールが,少しずつ自身の楽しみとしてすることができてきた。そういう感覚です。

 

さらに,このコールを通じて感じたのが,現場の熱狂です。

 

私が参加し始めたころのコロナ禍終盤の現場。少しずつ声が出せるようになり,十分に盛り上がりを感じていました。

が,6周年のSSA,そしてアリーナツアーでは,盛り上がりを超えた熱狂を感じたんですよね。

 

みなさん大林組のCM見たことあります?古代ローマのコロッセオにて佐藤健さんが隣のローマ人のおじさんに,

「ここは何のために作られたと思う?」と尋ねられ,

「スポーツをするため」と答えると,

「それだけならただの空き地でこと足りる。」と言われます。そして最後にそのローマ人は一言

 

「熱狂するためだよ」

 

※ youtube等にあると思いますので,気になる方はぜひ一度ご覧ください。イコノイジョイとは関係ないものですので,リンクを張るのはやめておきます。

 

いや,これ見たとき,アイドル現場ってこれなんじゃない?って思ったんですよね。

まさに,熱く狂う。

 

ふと冷静になると,現場にいるときの自分ってちょっと以上です笑

絶対に家族には見せたくない笑

 

ただ,あの空間ではそれが普通ですもんね。

 

最初のころ,コールを間違ったらどうしようと思っていた時,いろんな方からそんなの周りは誰も聞いてないから大丈夫。と言われていました。

その時はいやいやそうは言っても間違ったら恥ずかしいよ,なんて思ってたんですが,正直自分は周りがどうしてるかなんてほとんど気にしなくなりましたもんね。

それくらい,この上半期の現場を通じて,自分自身がライブに熱狂できていることが分かります。

 

 

何が正解かなんてよくわかりませんし,おそらく正解はないんでしょう。

自分としてはただ1つ。

推しが喜んでくれるやり方をしていきたい。

今自分が出している声が,推しにとって力になっているのか迷惑になっているのか?これももちろん実際にはわからないと思いますが,でもそういう思考回路の上で,これからも楽しんでいきたいなって思います。