最初にエクスキューズさせてください。

今日の記事は多分読んでいても何が言いたいのかよくわからないと思います。

これまで以上に自分の心の中を整理したいという思いで書いている文章で,且つまだ整理できていないんだと思います。

ですので,読みにくいなと思ったら今日はパスしてください。

明日からはもう少し読みやすく書きますので笑

 

 

今だからこそ見ることができたセットリストのコンサート。

今回のニアジョイ2周年はそういうコンサートだったと思います。

 

結成から2年。主にイコノイのシングルのC/Wとして着実に曲を増やしてきたジョイちゃんたちですが,まだまだ自分たちの曲だけでセトリを構成することはできない今だからこそ,いろいろな曲をカバーしたセットリストを体験できますよね。

今回のセトリはまさにそういうセトリだったでしょう。

 

 

さて,最近カバー曲を聴くときに頭の中に出てくる場面があるんです。

それはYoutubeで公開されている“Documentary of ≒JOY -Episode2-『決起』”にて,CRE8BOYさんが言った一言。

 

「いろんなアイドルがこの曲(手遅れcaution)をやってるんだけど,やんなきゃいいのになって思うことがほとんど。なぜならイコラブちゃん以上にこの曲を表現している人に出会えていないから」

 

この一言を聞いてから,どんな風にカバー曲を聞けばいいかが少しわからなくなっていた自分がいたんです。

それまでは,イコラブやノイミーがカバー曲をするときにも,すごく単純にいろんな曲が聞けて楽しいなという程度だったんですが,この一言を聞いてからなんかいろいろと考えるようになってしまって。

もちろん,聞いているその瞬間は,持ち歌では普段見られない推しグループの姿を見ることができる喜びで楽しめるんですが,例えばこうやっていざブログにその時の感想を書こうとしたときに,私自身や読み手が持っているであろうの原曲への思いだったり,カバーへの評価だったりというのが邪魔をして表現がしづらいなと思ったり。

 

 

ただ,そんな中,今回のニアジョイのコンサートで,ごくごく当たり前のことに気づき,なんか自分の中でカバー曲の楽しみ方,たしなみ方がわかったような気がしました。

 

そのきっかけが,昨日も書いた,ノイミーカバーパートでした。

特に珠里依ちゃん,葵ちゃん,愛実ちゃんの「薄明光線」,怜音ちゃん,結香ちゃん,莉子ちゃんの「誰森」。

この2曲は本当に素晴らしくて,感動すら覚えました。

 

が,当たり前なんですが,そこには菜々風ちゃんの姿はありませんでした。誰森で白いワンピースの裾を手で払いのけるようにしながら,客席に浴びせかけるような歌声でパフォーマンスする,なんかちゃんの姿はなかったんです。薄明光線でのびやかな歌声とビブラートを変幻自在に使いこなす,ももきゅんの姿はなかったんですし,透き通る歌声の萌ちゃんもいませんでした。

どれだけレベルの高い歌唱力を持つニアジョイちゃんがノイミーちゃんの曲をカバーしてもにも,なんかちゃんはいなければ,ももきゅんもいない,萌ちゃんもいなければ,私の推しのみるてんもいない。

そしてどうしても原曲が聞きたくなり,夜行バスで,「薄明光線」と「誰森」を聞きました。

 

これだけなら,やっぱり原曲がいいよね,ニアジョイちゃんはノイミーちゃんを超えられなかったねと言っているようですが,そうではないんです。

夜行バスで「薄明光線」と「誰森」を聞き,やっぱりノイミーいいよねと思ったと同時に,今度はもう一度ニアジョイちゃんの「薄明光線」と「誰森」を聞きたいと思ったんですよね。

これって,きっと私の中で別のものとして楽しめているということなのかな?と。

 

そういえば。これまでのイコラブやノイミーがカバーしたものでも,今でももう一度見たいと思い,実際に円盤なんかで見返すものありますもんね。

ぱっと思いつくところではイコノイフェス2021のP.I.C(確か1番はイコラブカバーだったのでは?)とか,イコノイジョイ2022のノイミーの祝祭,イコラブのチョコメラ。

 

おそらくこうやって,原曲とカバー曲の両方を楽しむってことが,どちらがいいとかどちらがまさっているとか関係なく,カバー曲のたしなみ方なのかな?

 

なんていうごくごく当たり前のことを今回のニアジョイ2周年で感じたというつまらないお話でした。