コンサートから5日目。
ようやく少し感情が落ち着いていました。
本来なら先週末のオンラインお話会や今週末の対面お話会で,イコラブちゃんにありがとうを伝えたいところなのですが,家族にイコラブファンを公言しておらず,家にCDが届くたびに自身で受け取るための攻防を行わないといけないというハードルで申し込めてはいません。が,今年の周年は間違いなく素晴らしいものだったと思うので,きっとほかのファンの皆さんが私と同じような思いをイコラブちゃんたちに伝えてくれていると思います。
さて,私は5周年コンサートで初めて現場に出た現場初心者です。
なので,その初心者としての印象を少し。
イコラブのことはずっと在宅として配信や動画で追いかけてきました。
そんな私が現場に出始め,配信・動画と現場ではイコラブちゃんの歌声に対する印象が少し変わったんです。
いやもちろん,映像で追いかけていたころから,歌唱力は素晴らしいと思っていました。
これは現場に出始めた今も全く変わりません。
印象が変わったのは,具体的には歌声の重なりなんです。
配信・動画で見ていると映像を見ることに気を取られているのか,サビの全員歌唱の場面などでは歌声をスッと聞き流してしまっていました。
また,どうしても画面にアップになるセンターやその周辺のポジションにいるひとみんや舞香ちゃん,衣織さんなどの声が中心に聞こえてくるイメージを持っていました。
しかし,実際に現場に出てみて,全体を見渡した状態で聞いてみると,一人一人の個性的な声がちゃんと聞こえるんですよね。
曲を聞きながら全体歌唱でも,「あっ,杏ちゃんだ」「あっ,しょこちゃん」みたいな感じで声が聞き分けられるというか。
そしてその中で感じるのが,イコラブの声のバリエーションの多さと層の厚さ。
曲の骨格を形成するような,骨太な声をしている舞香ちゃんの歌声。
同じく骨格を形成してるんだけど,揺らぎやかすれで脆さも感じる衣織さんの歌声。
ここは聞かせるところだ!というところでぐっと前面に出てくる細部まできれいに飾られたようなさなつんの歌声。
素直ではっきりとしつつ,全体を包み込むようなひとみんの歌声。
かわいらしいキャンディボイスをまといつつ,切なさまでカバーするきあらちゃんの歌声。
触れば壊れてしまうよな繊細さを感じるみりにゃの歌声。
パーンとはじけるようで,ストレートにひびいてくる花菜ちゃんの歌声。
ふわふわっとした華奢で素直な莉沙ちゃんの歌声。
まっすぐに1点を突破してくるように響くしょこちゃんの歌声。
そして,(私がいちばん大好きな 笑)かわいく穢れのない杏奈ちゃんの歌声。
もちろん,低音が効いた見た目とのギャップを感じるなーたんの歌声も大好きです。
これらが混ざり合った時に,イコラブサウンドができるのかなと。
イコラブちゃんって,歌もダンスも無理にそろえようとするのではなく,個性を合わせることに重きを置いてますよね?
いわば描きたい絵のために絵の具を買うのではなく,今ある絵具を最大限利用した絵を描こうとしているのかなと。
(もちろん,その絵具自体もどんどんと成長しているからこそいい絵が描けているのだと思います)
イコラブに限らず,イコノイジョイのクリエイティブチームは,本当にうまく素材を生かしてくれているように思います。
特にこれを感じたのが新曲の“ラストノートしか知らない”。
この曲に関しては別途書きたいと思っていますが,歌声としてのイコラブサウンドの,現状の最高到達点じゃないかなとさえ感じました。
単に歌唱力による,ましてや人気などによる歌割ではなく,曲全体を通してのメリハリを作るために,場面に必要となる歌声を使い分ける作品。
曲という絵画を描く中で,必要となる歌声という10色の絵の具を使い分ける。
そして,それらは混ざりあい,重なり合うことで多彩な色を作り出す。
これがイコラブが楽曲として高く評価される理由なのかな?なんてことも思いました。
現場には現場でしか感じられないものがあると再確認した6周年コンサートでもありました。