卒業発表を経て,やはり私の心は沈みました。

 

でも正直なんで沈んでいるのか?

いやもちろん,「なぜ気持ちが沈んでいるの?」に対しては,「卒業発表があったから」という答えはできるんです。

では,「卒業発表がなぜ心を沈ませるの?」に対しては...。

その答えがいまだによく分からないんです。

 

なーたんのこの後については,本当に心の底から応援しています。

もっと言えば,イコラブのメンバーが幸せになってくれるのなら,卒業は構わないと思っています。

でもそれと大きく矛盾して卒業に対して大きく心が沈んでいるのも事実。

 

ただ,このブログを始めて,思いを言葉にしていく中で当たり前ではあると思うのですが,1つ気付いたことが。

 

私は「イコラブ」の変化を異常に嫌っているということです。

 

いや,イコラブ自体の変化を嫌うというよりは,変化の連鎖が行きつく先が見えずに不安になるという方がいいのかもしれません。

 

例えば,すごく単純に

ファンの頑張りにより売上等が増加し,それによって世間からの注目や評価が高まることでさらにファンの頑張るモチベーションになるという循環があるとします。

(もちろんこんな単純じゃないとか,順序が違うとかあると思いますが,あくまで1つの例として。)

 

ファンの頑張り⇒売上の増加⇒世間からの評価向上⇒ファンの頑張り...

 

今回の卒業により,

・ファンの数が減ったりするのかな?ファンのモチベーションが下がったりするのかな?

・次回作からの売上はどうなるのかな?

・世間からはこの卒業をどのようにみられているのかな

などという1つ1つの要素への影響だけでなく,

 

ファンの減少がさらに売上を減少させ,世間からの評価が下がることでファンのモチベーションが下がり,それがさらなるファンの減少になり...などという負のスパイラルに陥ったりすることがコワい...。

つまり,変化がコワいというのは,今までうまく回っていたものがどのように変化するのか,その変化の先が見えないことがコワいということなんだろうなと。

 

年齢を重ね,いろいろな経験をしてきた中で何とも青臭いことを言っていますが,これが本音です。

情けない...。

 

 

ですが,今回のこの記事を書くことを通して,もう1つ気付いたことがあります。

 

コワいのは周りの変化だけだったということです。

 

今回の件で私の気持ちは大きくかき乱されました。が,それは自分ではコントロールできない周りの部分だけ。

他のファンがどうなんだろ?世間からの評価はどうなるだろ?そういった部分だけでした。

 

 

私はこれからもイコラブが好きなんです。