見た。
見ました。
これね。
あの日強引に天国に行かなければいけなかった
2万人の方々に鎮魂の花火を打ち上げるという。
献花であり、お線香でもある。
とにかく天国のひとびとのための、
その人たちが見る花火。
静かで、花火の打ち上がる音と映像だけの中継。
だけどそれ以上のものはまったく必要がないと
心から思える中継でした。
パソコンのモニタを静かに眺めるだけで
こんなにも熱いものがじぶんの中で
あらわれてくるなんて。
流れるツイートを見ても鼻の奥だとか
目が熱くなったりだとか。
花火の打ち上がってゆくラインは
真っ直ぐ天国に向かっているんだな。
天国と地上が完全につながってる瞬間が
わかることがあるんだなあ。
天国から見たらとんでもなくきれいなのかな。
天国にいる、すべてのひとたちが一緒になって
よろこんでいたらいいな。
うちのお父さんなんかが
「ええねえ、こんなすごい花火上げてもらって」
なんて言ってたらいいなあ。
「愛してる」「元気です」
こちら側の都合の良い思い込みなんかじゃなくて
きっと必ず届いている。
そう感じられる中継でした。
お線香やお花、お仏壇やお墓に手向けるのは
はっきりとじぶんのため、いま生きているひとのため
で、あったりもします。(浄土真宗ではとくに)
(という書き方は間違ってるかもしれないけど)
だから絶対にまちがってたりなんかしない。
いままた改めてスコップ団の会見を読んで
その時も思ったけれど、また強く思っています。
ううーん。
重く書くのも、軽く書くのもちがう気がするなあ。
ああ、もっと文章能力が欲しい。
でも素直に思った気持ちはぜんぶ書いてとっておくのだ。
スコップ団のことは、どれもぜんぶロックなんだけど
この花火もものすごいロックだった。
「格好良い」という言葉でおさまらないくらい
カッコイイ。しびれる。
生きてる方が、しかも地震の影響を受けていない
わたしなのに、力強く、でもやさしく
背中を押してもらって元気をもらってしまいました。
ぶじに終わってほんとうによかったなあ。
ほんとにね、いつ、そのひとと会えなくなるかわからない。
もうすでに後悔しそうなことでいっぱいの
日々を送っているわたしではあるけれど、
なるべくそうならないように、
たのしく、たのしく、健康に。
でも、
「明日は今日やり残したことをやるために来るんだよ」
という希望もバリッと持って生きていこう。
しんだら困るんだから!
すべての関わったみなさまに、
お疲れさまでした。
ありがとうございました!